トピックス 2012/6/15  トピックス案内へ戻る
 ギリシャ再選挙を前に言いたいこと
 EUの危機と「市場至上」経済・・・誰が気まぐれネコに鈴を付けるのか

●EUという「国家」
 EUは「ヨーロッパ経済共同体(EEC)」から形成され、ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体、ヨーロッパ原子力共同体との合同を経て「ヨーロッパ共同体(EC)」となり経済的法的あるいは政治的結びつきを発展させてきた。その上にたち単一通貨ユーロのもとで国家的統合をめざしている。世界的に展開されているグローバル化の地域版であるとも言える。
 ヨーロッパは、超大国米国、軍事大国ロシア、そして日本や中国の経済的パワーに対抗するために、ドイツやフランスを中心とするヨーロッパ諸国の統一市場に基づく国家秩序を目指しているのである。
 つまり、労働者や地域零細企業がこのような野望を目指したわけではない。欧州の資本家たちが中心となってより強大な国家統合をもくろんでいるのだ。
実際、EUは経済的結合を軸として法的な政治的結合を強め、新たな国家権力の創造という近代国家形成の基本プロセスを手に取るように示した。(これは典型的な国家形成プロセスではないが、かえって国家形成の本質を明瞭に示している。)
 さらにEUがその建前としての「ヨーロッパ市民社会」を目指すというのであるから、近代市民社会というものが、市場経済の統合過程のなかで語る必要もないほどに単純に示されているのではないのか。

●労働者大衆は「EU国家」を守るべきなの
 もっとも、EUが本格的な「国家」へ今後とも成長するかは保証の限りではない。しかし、EUの危機だ、といって騒ぐのは欧州ブルジョアジーたちにまかせておけばよいのではないか。その様な視点はわれわれにとって二次的なことである。「EUの危機」を回避するとの理由で労働者・勤労民衆に犠牲を転嫁することだけはごめこうむりたいものだ。「EU危機論」は少なからず政治的に利用され国民を脅しつけるために利用されている。
 その意味で、ギリシャあるいはスペインの労働者の闘いは正当である。大衆を犠牲とした財政再建路線と闘うべきである。

●ギリシャの民衆とEU
 このような次第であれば、労働者や一般国民にとって、国民的交流や文化的交流、共同の市民社会の形成は、歴史的なアソシエーション形成の一要素として存在するとは言え、現実のEUが資本主導の新国家形成であるという意味では、それを支援し支持する必要はない。たとえば、EUの危機に責任を持つとか、それを避けるべき義務も存在しない。
 独仏の資本による、南欧・東欧の経済的後進地域との市場統合は、結果としてドイツ等先進資本を潤したのであり、南欧諸国が財政赤字を作ったからといって安易に追放すべき合理性は存在しない。そんなことをすればEUはむしろ「国家」としての信望を失うであろう。(現にEU危機を逆利用し、資本家とその国家は、国家統合をさらに推し進めようとする動きも活発である。)

●信用危機はギリシャが原因?
 さらに次のことを語らなければならない。ヨーロッパのマスコミや一部の政治家がEUからギリシャ離脱を求めることはもちろん、ドイツ首相メルケル、IMF専務理事サルガドがギリシャ国民を愚弄し、残りたければ緊縮財政に協力すべきであるという(事実上の)脅しにくっする必要はない。
 ギリシャの財政赤字のせいで世界信用恐慌がくるというのか? たしかにマスコミはこぞってそう叫び続けている。だが、経済恐慌は、資本主義の総合的な矛盾の爆発であり、そもそも「ギリシャ」の責任ではない。責任というのであれば、巨万の富を築いてきた金融機関や、本業そっちのけで、為替投機や債権・株取り引きに資金をつぎ込んできた世界中の大資本(産業資本含む)の責任なのである。彼らこそが、目先の利益を追求するあまり信用の不安定化を増幅させてきた張本人である。
 ギリシャの「財政危機」は、その突破口、つまり信用危機が信用崩壊へと転化するきっかになる可能性があるだけだ。しかし、気の毒なことにきっかけは他のどこにでもある。

●緊縮財政に耐えれば信用危機は回避できるか
 それなのに、国民的犠牲をギリシャやスペインに強いるべきなのか。ギリシャやスペインの国民的犠牲は報われる保証があるのか? 仮に、これらの国民が「緊縮財政」という追加的な収奪に耐えて、さらに大量失業に耐え赤字財政を幾分回復したとしても、資本主義の経済恐慌は遠のくのか? うそだ、そんな根拠はどこにもない!
 このように、緊縮財政を実行することが、EUの安泰であり、その一員であるギリシャ国民の「義務だ」「責務だ」というということはまったくない。また、ギリシャやスペインの緊縮財政の堅持が、世界の経済秩序を救うかの主張は、その場しのぎの幻想である。 
●食い逃げはどちらだ?
 ギリシャやスペインの財政が危機であるなら、そしてこれらの国の銀行が信用不安に陥りつつあるなら、ドイツを中心としたEUの資本家と政府がそれを無償で支えるべきではないか。彼らこそ拡大されたEUから最大限の利益を引き出したのだから。彼らの金城湯池であるEUを維持したければ、それだけの犠牲を自らはらうべきではないのか。
 同時に、累進的に拡大する金融取引(信用不安の一大要因)から、それを規制するためにも為替取引も含めて国際的な課税網を構築すべきではないか。富裕層への徹底した累進課税を実施すべきだ。
 とにかく、もうけた者たちが後始末を人に押しつけ、食い逃げするのは断じて認められない。欧州の労働者・国民は、選挙を含めた大衆的力でこれらの点を実現してゆくべきだ。

●EUやIMFの政策はヨーロッパ・ファシズムを育てている
 このことも言わねばならない。「税金を支払わない国民」「公務員が多すぎる」「勤労意欲に乏しい国民」などとバカにされ、厳しい緊縮財政をEUのみならず国際的に(IMFのサルガド)押しつけられているギリシャで、4月の総選挙では急進左派連合とともに躍進したのが「黄金の夜明け」などのファシズム勢力である。これは予測されたことである。社会保障や賃金の切り下げや雇用の喪失を事実上他国の押しつけで「呑まされ」たのだから、鬱積した国民感情は彼らをして極左や極右支持に追いやることは見やすい道理だ。
 仮に政権をとっても左派の政策がすぐさま効果がでなければ、その反動はファシズムのような極端な排外主義、差別主義としてギリシャ国内で支持者をさらに増やす可能性はある。身近なところで「敵」を見つけ出し攻撃するという右翼の野蛮な発想や行動は、怒りの矛先を見いだしかねている一部国民に対して危険な罠となる。ギリシャのEUからの離脱ばかりでなく、「ヨーロッパ市民社会」は大きく傷つくであろう。

●おごる「金融市場」を誰が鎮めるのか
 そもそもおかしな話しがすべての前提となっている。金融市場の暴走ぶりに対する非難はあっても、片方では市場の行動が経済の絶対基準であることは微動だにしていない。
 市場の動向にあわせて、国家は政策を決定し、市場をなだめすかすことばかりやる。「市場の信頼を得る政策を」と野田総理もそう言うが、ギリシャをめぐる問題もその典型である。ギリシャの赤字財政におびえた「市場」が、ギリシャやその国債を多数所有する銀行から逃げようとして、信用不安が発生した。こうして、EUを中心に国民的資金が集められ、それが大量に銀行に注ぎ込まれる。銀行資本の国民的救済自体も不当であるが、金融市場の動向が、国家財政政策ひいては国民経済を規定するという、まるで転倒した現代社会のすがただ。
 市場の資金を回帰させるために、ギリシャやスペインその他の財政赤字国は、国民の苦痛をしいる「緊縮財政」とり続けようとし多数の勤労者大衆の反発を呼び起こしている。
たしかに、金融経済は、実体経済の数倍以上の規模にのぼると考えられており、金融投機や為替投機は中小規模の国家をすでに何度も破綻の縁に追い込んできたのである(アジア金融危機)。国家は、今では市場の風下に立ち、その動向におびえ顔色をうかがうという惨めな立場に追いやられている。では、国家の力をより強大にして市場を統制し、彼らに増税し富の再分配やらを強化すること、つまり「大きな政府」論に回帰することは、当面の方策として必要であっても、悪循環からの脱却にならないことはもはや誰の目にもあきらかだろう。

●単純な答えは存在しない
 市場経済や資本主義が不合理で、人間的生活や文化と相容れないことは今では多くの人たちが理解し始めている。そして、世界的に新しいこころみが実施されている。また他方では多くの失敗や失望があるとおもわれる。
 本論で多くを語れないが特に注目すべきは、多様な形態をもつが個々人の連帯を土台とする協同の経済である。労働の社会的意義を理解した自発的な経済組織である。このような経済の連携で「市場至上経済」に代わる新しい社会を生み出すという展望は、歴史の中でその姿をようやく垣間見せていると考えている。
 それを政治的にも経済的にもまもり育てることが、大きな課題である。(阿部文明)
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