ワーカーズ631号 2022/6/1    案内へ戻る

  女性の生きづらさをなくす政治を
   7月参議院選に女性議員を増やし女性の声を届けよう!


 1986年に「男女雇用機会均等法」が施行、そして「男女共同参画社会基本法」が99年に、さらにその後23年を経て女性の地位は向上したのでしょうか? 実際は、雇用の機会均等という言葉は、表向きで企業はコース別人事を行い、男性には企業の中心となる総合職、女性は補助的な任務となる一般職と振り分けられたのでした。

 しかし、男女の賃金差別を問題にしその不当性を訴え、日本鉄鋼連盟の女性7人が、既に78年、東京地方裁判所に提訴していました。その前年、国連で採択された「女性差別撤廃条約」が彼女たちの勇気を後押ししたのでしょう。86年12月の地裁判決は、「賃金差別は不当だが、配転そのものは企業の裁量」と1勝1敗でしたが、「男女別コース制は憲法違反」と言わしめたことは、次に続く争議に大きな力となったはずです。

 男女共同参画と言いながら、国会での女性議員比率は、衆議院は9・7%、参議院は23・1%にすぎません。元々、男性主導の政界で、地縁・血縁を世襲とする慣習が女性進出を拒んでいると言えます。

 3月8日、朝日新聞によると山梨県議会は、議員36人中女性は1名だけとの報告。さらに、昨年6月に内閣府が全国の地方議員から集めたハラスメント事例は約1300件。内訳はパワハラ68・4%、セクハラ22・9%、マタハラ(妊娠・出産をめぐる嫌がらせ)1・4%など、と深刻な状態です。「ジェンダー平等」を現実化するためにも、各党は女性候補者数を増やし、比例区の候補者を男女同数にするなど前向きに取り組んでほしい。

 昨年6月、最高裁で「夫婦別姓」を認めない民法の規定を「合憲」とした判決は、女性が社会参加するうえでの不都合を考慮しない時代錯誤の判断と言えます。それは、司法の場でも、女性の裁判官は22・6%(2021年男女共同参画白書)と低く、男性優位の目線での思考が潜んでいるのでしょう。

 女性の性に関しての出来事、妊娠・出産・中絶をなぜ、女性自身が決定する権利を持てないのか? 1970年代、ウーマンリブの運動は、これらの問題と向き合い行動を起こし、電話相談にも応じています。50年の月日をかけた先輩女性の運動を振り返り、想いを共有することで次の世代につなげたい。

 今年、5月19日、「困難な問題を抱える女性への支援に関する法律」が成立。DⅤや性被害、生活困窮に直面する女性支援新法で、都道府県に計画策定を義務付け、施行は2024年4月。現行の女性支援制度は売春防止法(1956年)に基づいており、売春する恐れのある人の補導・保護厚生を目的としていて、支援団体から現場のニーズにそぐわないと指摘されていました。

 この法律は、超党派の女性議員が早期成立を目指して成立したもので、「女性が法整備を求める声を上げても、男性ばかりの国会ではなかなか取り上げられない。議会に女性が増えてさまざまな問題を提起するようになれば、男性議員の意識も変わる」。関わった女性議員の声は、私たちの声でもあり、男性の皆さんへのメッセージでもあります。(折口恵子)


  《ウクライナ》危うい一面的な善悪二分の対抗軸

 ロシア・ウクライナ戦争は、泥沼化、長期化しつつある。

 そのウクライナ戦争に関して、未だに善悪二項対立に偏重した一面的な対抗軸にもとづく言説が横行しているが、それは次なる危機の拡大を呼び込むものにならざるを得ない。

 複眼的視点に立った、権力や資本から自立した、労働者・民衆の国境を越えた闘いという基盤に立ち返って考えていきたい。

◆危険で一面的な対抗軸

 ウクライナへのロシアの軍事侵略が始まってほぼ3ヶ月。ロシアの侵攻目標は、当初のウクライナの首都制圧や政権の転覆から、東部地方の占領とロシアへの編入へと変更・縮小されているかにみえる。とはいえ、仮に外敵の脅威の抑止という経緯があったとしても、れっきとした独立国家の領土を奪い、一般住民を含む多くの人々を殺害するという古典的な帝国主義的野心と暴力的な行動は、世界の労働者・市民から非難されるべきだし、私たちも同様に非難する。とりわけこの戦争に抵抗している少なくないロシアの人々の闘いを支持し、世界で戦争とそのエスカレーションに抗して声を上げている多くの人々と連帯していきたい。

そのロシアによるウクライナ侵攻。戦争開始から3ヶ月、いまでも一面的な対抗軸にもとづく報道や解説・言説があふれている。

 その構図はロシアの侵攻を受けている民主主義国家ウクライナの徹底抗戦を支持、当然のごとく米国やNATO諸国による経済制裁や武器支援も含め、ロシアを勝たせず、懲罰を下し、敗北に追い込まなければならない、というものだ。

 そうした対抗軸は、米中、米ロ新冷戦、新東西冷戦という構図での、米側・西側陣営による中国を含む東側陣営への包囲網づくりや体制転覆への攻勢と地続きになっている。

 こうした動きは、一般国民の愛国主義を煽り、それを利用・動員した挙国一致の軍事的対決指向への傾斜へと拡がりつつある。日本でも、防衛費増額や敵基地攻撃能力など、戦争ゲームと見まごう動きが広まり、それが世論にも影響を与えている現実がある。

◆資本主義と労働者階級

 上記のような善悪二項対立という対抗軸が横行するなかで、決定的に欠けているのは資本対労働者階級という、一部の特権的な富裕層とそれ以外の大多数の間の分断、格差にかかわる対抗軸だ。

 近年の経済のグローバル化やマネー資本主義への傾斜、一部の超巨大プラットフォーマー企業による利益の独占、その過程で世界に拡がる貧困と格差の深刻化。一握りの富者と膨大な貧困層という分断状況。こうした観点から世界を見るとき、今回のウクライナ戦争の様相はまったく違って見える。

 善悪二項対立だけでみれば、今回の戦争が、議会制民主主義の西側資本主義陣営と民主主義が欠落した専制主義的資本主義の抗争だと捉えるもう一つの実相は目に入らない。

 かつての冷戦構造は、資本主義陣営と社会主義陣営の鼎立・抗争と見られていた(ソ連や中国は真の社会主義国家などではなかったから、本来はそうした構図では無かったが――)。が、現在の新冷戦は、政治体制が違っていても両者とも名実とも資本主義国家だ。

 米国をはじめとする民主主義の西側陣営は、巨大多国籍企業を始めとする文字通りの自由・グローバルな資本主義陣営だ。その政体の足下は、一握りのグローバル企業やプラットホーム企業が肥大化した超格差社会、階級社会でもある。

 それらの国の議会制民主主義も、実際には、数年に一回の選挙による代表制(=白紙委任制)とも言える本来の〝当事者主権〟からほど遠いものだ。日本の議会制民主主義も、企業選挙の横行や世襲政治家の跋扈、それに議員のリコール制度もない、極めて限定された民主制度でしかない。

 対するロシアの大統領制は、選挙こそ実施されているが、野党の弾圧や立候補の制限など、自由選挙とはほど遠い、権力追認の形式的選挙でしかない。おまけに、中国ではそもそも政権を選択する選挙制度すらない共産党独裁国家だ。

 そうした両陣営は、西側が、多国籍企業や独占的大企業などが多くの利益を独占している格差社会、階級社会であり、他方東側は、ロシアは新ユーラシア主義というスラブ民族主義に染まったプーチン大統領を取り巻く権力者やオリガルヒ(=新興財閥)が支配する階級社会であり、中国はといえば、中華民族の偉大な復興という、大中華ナショナリズムを掲げた共産党エリート層が支配する階級社会だ。

 私たちはそうした両陣営を貫く特権階級と闘うべきなのだ。

 ロシアとウクライナでは、そもそも時期は違っていても、国営企業の民営化などの過程でそれを私物化して財をなした権力と癒着した新興財閥(オリガルヒ)が生まれ、そうした政商が利益を独占するようになっていた。ウクライナのオリガルヒは、ロシアと違って西欧の多国籍企業が幅をきかす新自由主義的な政策を招き入れてきたのが実情だ。

 ウクライナの知事の多くはオリガルヒでもあり、その筆頭格だったイーホル・コロモイスキーやドネツク州のセルヒイ・タルタ知事などが、対ロシアの様々な義勇兵組織を支援したりしてきた。

 言ってみれば、今回のウクライナ戦争は、ロシアのオリガルヒ(プーチン大統領に宮殿を寄贈した)の上に君臨するプーチン大統領によるウクライナの属国化と、それに抵抗し、欧米のグローバル資本主義に接近したウクライナのオリガルヒの間での利権争いの構図もあるのだ。

 そのゼレンスキー政権は、グローバル企業が求める労働者の権利剥奪や弾圧に手を付け、さらには規制緩和で欧米資本によるアグリ・ビジネスの支配力強化など、西側のグローバル資本主義モデルを導入しようとしてきた。

 これらの構図が、ロシアの侵攻によって、全てかき消され、ゼレンスキー大統領は支持率が急上昇し、正義の戦争に邁進する英雄のごとく報じられている。本来の対抗軸を雲散霧消させるロシアの侵攻は、それだけ罪深いのだ。

◆二項対立把握の狭さ、危うさ

 こうした実相も含むロシアによるウクライナ侵攻。それに対し、メディアの対応はほぼ善悪二項対立ほぼ一色だ。

 たとえば朝日新聞。侵攻に対する朝日の立ち位置は「既存の国際秩序を根底から覆すロシアの蛮行」というもので、これが朝日新聞の社論だ。これはウクライナ=善、ロシア=悪という構図であって、善(=既存秩序)、悪(=力による現状変更)という二項対立認識に対応している。

 憲法学者の長谷部恭男氏も同じようの立ち位置だ(4・30「ひもとく」《戦争と憲法》)。それは議会制民主主義というまっとうな国家と極悪非道な暴力的独裁体制の衝突という二項対立だ。

 朝日の社論も長谷部氏も、善と悪の二項対立――聖戦思考――であって、対立・抗争のエスカレーションを内在化させた見立てだ。

 同じく憲法学者の石川健治氏は少し違う(5・3《これからの立憲主義》)。今回の戦争では、異質なものとの共存か、その排除か、という文明的な選択の問題が重要だという。対外的には体制間の抗争か平和共存かという、正反共存の視点も内在化させた複眼的な見立てだ。

 保守派の佐伯啓思氏は、また少し違う視点を提示している(3・26《異論のすすめ》)。彼は、今回の戦争を、米国中心の西洋的価値や世界秩序構想の破綻こそ問題なのだという。

 具体的には、自由・平等などの抽象的理念、グローバルな市場競争、主権国家の鼎立体制、総じて米国の覇権による世界秩序がうまく機能しない現実を見るべきだ、という。要は、自由や民主主義という普遍的価値の実現に向かって進んでゆく、という米国などの西欧的価値観がロシアの民族的なアイデンティティーと衝突せざるを得ないという現実重視。人間の営みの蓄積としての《文化》を重視するもので、保守派なりの善悪二項対立ではない歴史的見方を提示している。

 ウクライナ戦争は長期化の様相を呈している。今後も様々な言説が現れ、まき散らされると思われるが、少なくとも、際限ない分断と抗争のエスカレーションを招く、善悪二項対決という一面的な見方から自由になる必要がある。

◆本来の対抗軸へ

 繰り返すが、議会制民主主義は、当事者主権の観点からすれば大きな橋頭堡ではあるが、しかしそれは同時に、一部の富者と大多数の貧者に分断されている資本主義経済システムの上で成立している政治体制であり、格差社会・階級社会の体制イデオロギーでもある。それは力による政権転覆などの現状変更(ベトナム侵攻やアフガン・イラク侵攻など)も数多く繰り返してきた〝米国一極覇権主義〟とも共存してきたものだ。

 私たちの立脚点は、国家間の分断と抗争のエスカレーションを断ち切ることにこそある。民主的、あるいは専制的資本主義と、それに抗する労働者階級をはじめとする世界の人々の闘い、という対抗軸に立ち戻どる場面なのだ。(廣)案内へ戻る


  信用制度の要 日銀の「債務危機」問題
  世界的金利上昇で現実化する可能性とその歴史的意味


■日銀の「政府の子会社化」が円の信用をさらに失墜させる

 何年も前から指摘されてきた日銀の債務超過危機。世界的インフレと金利上昇で現実化する可能性が出てきた。

 この日本固有の問題は、アベノミクスと一体のものだ。安倍元首相と日銀黒田総裁の指揮の下、国債を買いあさり既発国債の半分は今や日銀が所有、その額は500兆円を優に超えた。「異次元金融緩和」「量的緩和の」のなせるところだ。アベノミクスとは、リフレ派である浜田宏一らのビジョンによりこの手のやり方で「インフレを実現」し、停滞している日本経済を復活させるという、途方もない愚論でありすでに何回か「ワーカーズ」紙上でその批判を掲載してきたのでここでは深入りはしない。(例えば625号「日本資本主義の衰弱とリフレ派の凋落~今、何をなすべきか?」、626号「日本国民を待つ過酷な運命、堪えるのか抗うのか?」など参照)。

 しかし、誰でもが知るように、アベノミクスの七年とそのあとの後継政府は、黒田日銀の下でその政策を継続した。ゆえに、ここ十年はこの金融大緩和政策が継続されてきた。そして現在でも黒田総裁は「金融大緩和=超低金利・マイナス金利」政策を継続すると断言しひたすらその道を歩み続けている。「政府ケイレツ子会社」化した日銀はこのように政府の「打ち出の小槌」として活用され国債や株券を大量購入し、あまつさえコロナ対策中小企業支援金まで直接出している。これが中央銀行のすることか?さすがに日本だけだろう。おかげでJASDAQに上場している資本金一億円の日本銀行はインフレ・金利動向によって倒産はともかくこのままでは債務危機の淵に追いやられそうだ。

■世界的な金利とインフレの上昇が日銀を責めさいなむ

 厚生労働省が2月8日公表した2021年12月の毎月勤労統計(速報)によると、実質賃金は前年比2.2%減と4カ月連続で低下し、2020年5月以来のマイナス幅となった。その後の統計でも勤労者の実質所得は、インフレの高まりに連れて減少しつつある。所得の低迷下での物価上昇(スタグフレーション)は、庶民にとって鋭い生活の危機である。インフレ(消費者物価指数)は春には1.9%となり秋には3%に達すると予測されている。

 マルクス経済学によれば、インフレは貨幣価値の下落である。ところが、その発現過程は最近分かってきたのだがいくつかのパターンがあるようだ。

 アベノミクスが金融大緩和政策を推進し日銀券をどれだけ刷りまくっても市中の資金需要は弱く日銀口座に積みあがるだけであった。過剰貨幣資本が市場の実体経済取引に流れ出すきっかけが乏しかったといえるだろう。ゆえに日本でのインフレはこれまで「抑制的」であり、この十年消費者物価指数は年平均1%以内であり、日銀の目標「2%インフレ」には届かなかった。この原因は、日本資本主義の低迷、すなわち実需要の低迷である。

 ところが、ここにきていやでもインフレ上昇と市中金利の上昇が迫りつつある。海外ではコロナ不況対策として日本同様に金融緩和政策が行われたが、その影響で米国をはじめとしてインフレが5~8%に至り収まる気配がない。ゆえに米国もEUも金利上昇を容認する政策に転じた。そのうえロシアのウクライナ侵略を契機にエネルギーや小麦など食料の争奪戦が激化し国際的な余剰資金が投機的にこれらの関連商品に殺到している。輸入大国の日本でも高騰する輸入品に押され2%超のインフレは現実のものとなりつつある。いわゆる「輸入インフレ」というやつである。折しも円安が一段と進行している現状では「輸入インフレ」に円安分の+αが加わる計算となる。輸入大国日本にとってこれは、インフレとして発現せざるを得ないし、それが今進行している。

■身動きとれない日銀の金融政策と財務

 ここまで予備的な話が長くなってしまった。要はこの世界的インフレと金利上昇と円安のために日銀は「債務危機」に至ろうとしている。倒産とはならないだろうが今まで通りにはやってゆくのはむずかしい。以下、三点から観てみよう。

❶500兆円超(現時点)をこえる日銀所有の国債だが、今後金利が上昇すれば、価格は下落する。実現損ではなくともとりあえず含み損を抱える。そればかりではなくETF(上場投資信託)などの日銀所有の株式も下落すると考えられる。理由は、これら債権類はマルクスの言う架空資本だからだ(『資本論』第3巻第25章「信用と架空資本」参照)。ゆえに市中金利の上昇があれば、債券は理の必然で下落し、保有者は含み損をかかえる。

日銀は既発国債の半分を持ち、さらに東京株式市場最大の大株主だ。仮に債権の下落を恐れて大量の国債・株式売却をすれば文字通りの市場の崩壊を引き起こしかねず、株価や国債の価格を維持するためには巨額の「含み損」を抱えるしかないのだ。民間資本なら債権の下落が予想されれば即時に売却するのはふつうのことだ。しかし、売買益目当ての債券購入ではなく日本の官製相場を支えるのが日銀の目的であるから売却という選択肢はない。ゆえに「含み損」を耐えるしかない。

❷そればかりではない。日銀にとってより一層直接的な打撃が口を開けて待ち構えている。日銀口座にある超過準備金の金利の支払い問題である。この金利は、日銀口座にある全国の銀行の預け金(法定準備金を超える資金に)に対して支払われなければならない。すでにこの準備金も購入国債に対応して500兆円超である。(今はゼロ金利かマイナス金利だが)金利が1%上昇しただけで10兆円の支払い義務が発生(「日経」)するとされる。

 現在日銀は指値オペレーションで、金利の上昇を強引に阻止している。いつまで支えきれるのだろうか?

 どうやら政府や日銀では増資や変動金利制の導入も検討されているようだ。確かに政府の事実上の子会社となり下がった日銀の債務危機は、政府による行政的介入や法律的措置で倒産を阻止し債務危機を改善しうるだろう。

 しかし、増資や変動金利は政府へと日銀の負担を付け替えすることである。また超過準備金を「法定準備金」に変更し(金利負担からの解放)も理屈の上ではありうる。とはいえそれはそれで日銀の負担を民間銀行に押し付けるだけのものだ。矛盾は解消されるのではなく果てしなく他に付け回しされるだけなのだ。

❸このまま金融大緩和策をだらだら続けてゆく(その間、自己資本の強化や金利支払いの一定の軽減化はするとして)、という手もある。そしてインフレの嵐をしのいで「債務危機」を乗り越える、と。無策の日本政府の採用する方法として一番ありえそうだ。しかし、この方法が仮に奏功したとしても円安は趨勢的に継続されることを意味する。別なところで指摘したように長期的為替ダンピングは労働力の安売りにほかならない。つまりそれは低賃金による奴隷的労働の固定化を前提とした日本資本主義の安売りでしかなく、たがって弱体化する日本経済と円安は不可逆的に継続されることになるだろう。

 日銀が債務危機から逃れられてもいずれにせよ債務危機が疑われ具体化しつつあること自体が問題であり「日銀は中央銀行として失格した」という事実は変わりようがない。すなわち日本の信用制度の中核機関の信用棄損であり、アベノミクスの破綻の新たな証拠であり、それ以上に「円」と日本資本主義衰亡のエポックメーキングな象徴となるであろう。(阿部文明)案内へ戻る


  ロシア・ファシズムと「連邦」の矛盾

●スラヴォイ・ジジェクの警告

 スロベニアの哲学者スラヴォイ・ジジェクは『世界臨時増刊』に掲載された論説「ウクライナと第三次世界大戦」で、ロシア・ファシズムについて警告している。

 ジジェクは「プーチンによるウクライナ・ファシズムの告発については、プーチン自身に問いを向け直す必要がある」として、イワン・イリイン(一八八三~一九五三年)という「プーチンお気に入り」の哲学者の問題に言及する。

 ジジェクによれば、イリインは一種の政治神学者で、一九二十年代にソ連から国外追放された後「ソ連の共産主義にも西側の自由主義にも反対しつつ、独自のロシア・ファシズムを唱えた」という。「国家とは、父権的な君主に指導された有機的共同体だという」。

 イリインにとっては、民主主義とはひとつの儀式にすぎない。「わたしたちが投票するのは、長たる者への集合的支持を表明するためでしかない」と。

 プーチンはこのイワン・イリインの学説を公式の知的指針とし、その著書はロシアで大量に再販され、無料の抜粋が国家官僚や徴収兵に配布されているという。

 そしてその思想は「プーチンお抱えの哲学者」アレクサンドル・ドゥーギン(一九六二年~)に引き継がれている。彼はウクライナの事態について「世界を統治するのは誰かが問われている。答えを決するのはただ戦争だけでしょう。」と公言しているという。

 昨年公表されたプーチンの論文「ロシアとウクライナの歴史的一体性について」も、こうしたイリインやドゥーギンの思想と表裏一体のものとして理解する必要があるだろう。

 プーチンやドゥーギンの主張する「ネオ・ユーラシア主義」なる構想は、社会有機体説と大ロシア民族主義が綯い交ぜとなった全体主義に他ならない。

 (ドゥーギンの思想についてはチャールズ・クローバー著『ユーラシアニズム ロシア新ナショナリズムの台頭』N H K 出版二〇一六年刊が参考になる。なおドゥーギンの「ユーラシア主義」を「ファシズム」と規定するべきかは異論もあり、広義の「全体主義」に位置付けるべきとの見方もあるが、その問題については別途考察したい。ここではジジェクの規定を採用しておく。)

●ロシア連邦の危機構造

 ではこうした「ロシア・ファシズム」を生み出す社会的基盤は何だろうか?『現代ロシアを知るための60章』に掲載されている何人かの研究者の論考を参考に考えてみたい。

 もともと「ソ連」は、ロシア、ウクライナ、ベラルーシ、ザカフカーズの四つのソビエト社会主義共和国で構成される「連邦国家」として成立し、その後バルト三国や中央アジア諸国の一部が加えられた。一九九一年の「ソ連崩壊」でウクライナ、ベラルーシ、ザカフカーズ等が連邦から離脱し、ロシアが残った。
 
 ところがこのロシア自体が内部に二十一の中小「共和国」(チェチェンもその一つ)を包含する「ロシア連邦」として存続したため、 特有の矛盾を抱えることになった。

 この問題は政権党「統一ロシア」のプーチンやメドヴェージェフもたびたび言及している。だが政権党だけでなく民主派ヤブロコのミトロヒン党首も次のように述べている。

 「ロシアにとって民族間対立は核攻撃よりも危険である」。「もし民族間の攻撃が止まらなければ、ロシアは内部から壊れるだけである」。「もし誰かがロシアを解体したければ、彼はロシアに民族主義のウィルスを拡散させるだけでよい。それは破壊工作員や核ミサイルよりも素早くロシアを破綻させるであろう」(『現代ロシアを知るための60章』片桐俊浩「民族問題とロシア政治・最重視される「領土的一体性」の保障」より)。

 これは今から十年前の野党党首の発言であるが、民主派・改革派ですら解決策を提示できていない程、連邦の矛盾が深刻であることを示している。

 ロシア連邦「内部」のチェチェン戦争に、あれほど固執した理由が、もしチェチェン一国の離脱を許せば、ドミノ倒しのように二十一の共和国の離脱に連動しかねないという、連邦統治者側の恐怖感にあることが推察される。

 そのことはロシア連邦「外部」のウクライナ、モルドバ、ジョージアにおける「ロシア語系住民」の居住地域を勢力下に置こうとして、武力介入を繰り返す衝動とも連動しているのである。その犠牲者がウクライナ市民であり、その悲惨さは言語に絶するものがある。

●ロシア市民の反戦闘争の意義

 ロシアの連邦統治機構の矛盾を社会的基盤として、独特のロシア・ファシズム思想に依拠しての、ウクライナへの軍事侵略の根は深い。そのことを骨身に染みて理解しているのは、おそらく東欧やバルト三国、フィンランド等の市民であり、日常的に弾圧されているロシア市民であろう。

 それだけにロシア市民の非妥協的な反戦闘争の意義は、限りなく大きい。というのは、この連邦の矛盾の処方箋は徹底した民主化を抜きには実現できないが、それは連邦統治機構の内部からはもたらされないからである。

 矛盾を解決しようとするなら、「大ロシア主義」を捨てて「小ロシア主義」を標榜すること(かつてのデンマークが「北海の帝国」から「小さくても豊かな農畜産国家」への転換と改革を志向したように)、公用語に多文化主義を認めること(現フィンランドのスウェーデン語・フィンランド語・サーミ語のように)、「分離の自由」を前提とした「対等な連合」に再編成すること(EUに託された社会的欧州の理想のように)等が不可欠であるが、それは現在の連邦統治機構(オリガルヒやシロビキと深く結合している!)のもとでは望むべくもない。

 ロシア市民の命をかけた反戦闘争は、その発展によって、古色蒼然たるロシア・ファシズムの支配を打ち破り、ウクライナに対する侵略(さらにモルドバやジョージアへの拡大の危険性)に終止符を打つ力を秘めている。だからこそ私たちはロシア市民の反戦闘争を全力で、心から応援しなければいけない。(夏彦)


  マクロンの「簡易版EU」案の問題とは?

●「簡易版EU」(欧州政治共同体)

 五月九日、ロシアで「独ソ戦記念日」の軍事パレードが行われた同じ日、フランスのマクロン大統領は「簡易版EU」として「欧州政治共同体」の創設を提案した。その理由として、ウクライナが加盟を希望している現在のEUは加入条件が厳しく、実現まで何年もかかってしまうことを挙げた。

 だがマクロンの提案には大きな問題がある。第一に加入条件(財政均衡主義)のあり方こそ問われるべきなのにその問題をスルーしている。第二に「とにかく加盟すればいい」という安易な政治主義に傾いている。そしてもっとも大切な点として第三にそもそも欧州統合の原点は何だったのかを忘れている。

●独仏の対立克服の歴史

 欧州統合の原点は、二度の世界大戦の大きな要因に、ドイツとフランスの根深い対立があったことを深く反省し、アルザスロレーヌ地方の石炭や鉄鋼の資源を争奪することをやめて、共同で管理する「欧州石炭鉄鋼共同体」を創設したことである。

 これがもとになり、国家利害や政治文化に根ざす対立克服の方向性へのヨーロッパ全域における共感に発展し「EU」創設に至ったのである。とかく関税廃止や共通通貨という「経済統合」の側面が注目されがちだが、そもそもは悲惨な戦争を二度と繰り返してはならないという「社会的欧州」の考え方が基礎にあったことを忘れてはならない。

 この原点を忘れて「とにかく加盟すればいい」という安易な発想が、ウクライナ側にもあるし、今回のマクロン提案にも見られる。その問題とは何か、掘り下げて考えてみたい。

●ウクライナにとってEUとは?

 EUの原点はドイツとフランスの対立克服の努力であった。この原点を踏まえて、ウクライナに問題を置き換えたらどうなるか?

 そこには、ウクライナ自身の抱える地域的な政治文化の対立克服の課題が浮かび上がってくる。

 西部の穀倉地帯はかつてポーランドの文化的影響を受けて、カトリック信者、ウクライナ語話者が多く、帝政ロシアに対する独立運動の歴史から民族主義的意識が強い。ステパン・バンデラは民族運動の英雄と見られている。

 東部のドンバス地域は、石炭や鉄鋼の産業開発の過程でロシア語話者の労働者が集まり、独特の地域主義の意識が強い。また正教会の影響も強い。

 首都キーウ(キエフ)では新中間層が多く、ソ連崩壊以降の市民革命の中心となってきた。
 
 こうした民族主義・地域主義・市民主義の政治文化の対立を克服するためには、宗教の自由はもとより、地域の実情に応じて、公用語におけるウクライナ語・ロシア語の併用などの制度を採用すべきなのである。

 ウクライナが「EUの仲間になる」ということは、「政治文化の対立克服」の考え方を「共有する仲間になる」ということでなくてはならないはずであり、そうであれば「足元の対立克服」の努力(公用語の複数化など)を行うことこそが「EUの仲間の証し」であるはずなのである。

●フィンランドの多文化主義

 この点でウクライナが学ぶべき先行事例があるとすれば、フィンランドの歴史であろう。

 フィンランドは「中立」を掲げたにもかかわらず、軍事戦略上の理不尽な理由からソ連に侵略され、徹底抗戦した(冬戦争)。ナチスドイツからも同じく軍事戦略的理由から干渉された。国内の政治対立による深刻な内戦も経験した。

 こうした悲惨な歴史を踏まえて、政治文化の対立克服を目指し複数の公用語を採用している。地域の実情に応じて、フィンランド語・スウェーデン語・サーミ語を併用している。

 多文化共生主義は今やフィンランドの看板政策となっている。その裏にはソ連の圧迫の中で、共生社会を目指して苦闘してきた歴史がある。こうした歴史を踏まえてEUに加盟したフィンランドは、多文化主義や「生きる教育」「障がい児教育」などを通じて「社会的欧州」の一翼を担い今日に至っている。

●「社会的欧州」はどこへ?

 ウクライナの側も「とにかくEUに加盟すれば何とかなる」という安易な発想から抜けきれていない。

 EU加盟を経済的利害中心に理解しているとすれば、そこにはウクライナのオリガルヒ(新興財閥)の利害が見え隠れしている。

 市民革命の中でスローガンとなったEU加盟の意義は、そんな矮小なことではなかったはずである。労働者市民の革命の出発点は「スターリン体制からの解放」であり、それを踏まえてEU加盟の目標を位置付け直すなら「社会的欧州」への参加であるべきである。

 EU発足交渉と並行して、ベルギーのブリュッセルから「反失業大行進」が、ヨーロッパ労働者の連帯に支えられて高揚した。そこでの目標のひとつが「社会的欧州」であり、ブルジョア的なマーストリヒト条約(社会条項の欠落)に対置されたのであった。

 マクロンもまた「とにかく加盟させれば何とかなる」という安易な政治主義的発想に流れているとすれば、社会的欧州の要求を忘れているか、無視していると言わざるを得ないのである。

 ウクライナのEU加盟は、現下のプーチン体制による侵略戦争との絡みで考えるなら、大量の避難民の生活再建をウクライナ国内やポーランドなどで、いかに行っていくかという問題と密接不可分である。家族を虐殺されPTSD障害に悩む子どもたちや、レイプの被害にあった女性たちの重大な人権侵害をどう回復していくかをヨーロッパ全体で支えていくには、EUの制度設計や加入条件などは、根本から考え直さなければならないのは明らかである。

 また戦時下を理由に、賃金未払いや解雇が相次ぎ、労働側からの抗議が起きている。EU発足にあたっては、労働者の諸権利を法整備する社会条項も求められてきたことが改めて問われている。

 マクロンの「簡易版EU」提案の問題は、むしろEUのあり方をめぐってウクライナ、ヨーロッパの労働者が連帯し、ヘゲモニーを発揮しなければならないことを示している。それこそが「社会的欧州」の課題である。
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  独立ウクライナの階級闘争(中)――対外債務問題

■「門前のクマそして後門のハイエナ」の物語

 ロシア軍のウクライナに対する帝国主義的侵略は日々拡大し、それに伴うウクライナの労働者・農民そして一般市民の虐殺は止まる気配がない。彼らと非妥協的に戦わざるを得ない。他方、オルガルヒ勢力やエリート官僚その他の資本家たちの思惑は民衆とは全く異なる。一例をあげれば労働者保護法をここぞとばかりに徹底破壊するつもりなのだ。職場は企業家の独裁となり一片の権利も奪い去られようとしている。「3月15日付のウクライナ法〈戒厳令下の労使関係の組織について〉(法律№2136-IX)の採択は、従業員にとって真の打撃となった」[ДУД?Н В?ТАЛ?Йcommons.com.ua2022.3]。

 ウクライナ議会はオルガルヒ勢力や資本家やその家族により支配されているのが現実なのである。「農地売買自由化」も含めて、民衆に対するあからさまな新自由主義政策との矛盾はいよいよ先鋭化しつつある。国内支配層との闘いもまた「侵略者との戦争」という強い軋轢と規制の中でも開始されることは不可避だろう。

 ウクライナで顕在化しつつある階級矛盾の激化と闘争については本稿「下」をもって論ずる予定です。本稿「中」ではまずそれと一体の動きであるIMFや世界銀行らによるウクライナブルジョア政府に対する30年間の金融「支援」とその累積債務の性格を確認しておこう。
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★巨額融資と押し付けられた「構造調整」

 IMFから最初の融資を受ける前提として、1994年9月にウクライナ政府が「経済政策と戦略に関する覚書」に署名し、ウクライナの市場関係導入の加速化が始まったのである。「この文書は、実際には、国内政策の実施におけるウクライナ政府の独立性を制限し、ウクライナ社会の発展の方向性を決定するものであった」[Economic Security of Ukraine, NISS, 1997]。

主な要件は以下の通りであった。
・対外貿易システムの自由化
・為替レートと価格政策の自由化、特に価格規制の制限。
・補助金の削減と国民に的を絞った援助の導入。
・公共部門企業の民営化の加速。
・自然独占企業や個別企業のリストラ。
・国家赤字の削減。
・規制緩和と行政改革

「したがって、この覚書の実施は、〈原材料〉産業の発展と輸入完成品の消費を伴う世界市場へのウクライナ経済の統合(輸出指標価格の撤廃、輸入品の品質認証に関する既存要件の廃止、輸出志向型企業の大量民営化)と、社会負担の軽減(補助金の削減、公共料金や行政価格の採算に合うレベルへの引き上げ)の同時実現を目指したと結論づけることができるだろう。」[Кравчук Олександрcommons.com.ua2015]

★IMF・世界銀行とはそもそも何様か

 IMF(国際通貨基金)は、通貨価値を安定させるために設立されたが途上国の開発という役割を持っている。世界銀行は第二次大戦後の復興支援から始まった。戦後復興はもう終わってしまったので、今、世界銀行とIMFは、ほとんど同じ役割を担う。すなわち低開発国や途上国に対する巨額融資との引き換えに地場産業保護規制の撤廃=「構造調整」と、市場開放を世界に押し広げることである。つまりグローバリズムの旗頭だ。

 しかし、IMFプログラムにより、アフリカや南米、アジアなどの発展途上国では、雇用や教育、医療などにおいて後退や停滞したことから、1987年には国際連合児童基金(ユニセフ)は、構造調整を厳しく批判した。同時期、ラテンアメリカにおいても債務危機が発生し、IMFによる構造調整が行われたが、これも経済成長をもたらすことなく失敗し、経済状況はさらに深刻化した。(Wikipedia)

 さらに、旧ソ連圏の解体にも一役買った。国家資本である大独占の分割民営化や特権の撤廃、そして社会福祉制度や労働保護制度の除去が大きなIMFのテーマであった。旧ソ連=ロシアのエリツィン時代、IMFとガイダル(当時のロシア第一副首相兼大蔵大臣)の「急進改革」おかげで生産力は半分に激減し労働者は職場から無権利で追放されたことはそれほど昔のことではない。「硬直化した官僚的経済運営」を市場化することでロシア経済は飛躍的に改善されると彼らは受合った。しかし現実は戦争や内乱でもないのに経済規模は半減しハイパーインフレが発生し貧困が満ち溢れた。旧ソ連の公的材は一部の元共産党員の手に落ちるか西側ブルジョアジーの手に渡った。新自由主義的IMFの「改革」のインチキさと犯罪性はすでに明らかなのである。

 韓国のようにアジア通貨危機(1997年)後に救済支援を受けながらも経済浮揚したケースもあるが、これは成功例とは言えず、IMFの指導の成果とは言えない。韓国政府がアジア通貨危機後の韓国における金融部門の健全化のために主導的な役割を果たした。迅速な金融機関の整理・統廃合が大きく寄与したとされる。さらに韓国の国家財政がもともと健全であり幸運にも産業が当時は強い成長段階にあったからだ。

 ウクライナの自由な資本主義化は本稿「上」で触れたようにいくつかの事情で旧ソ連諸国の中で出遅れた。しかし、マイダン革命とそれに続く14年のクリミア半島とドンバス地域のロシア軍による占拠事件が生じた、内戦と言ってもよい。以降、ウクライナ国内の親ロ派勢力の後退やウクライナ政府の財政難もありのちにも少し詳しく述べるように国際金融機関からの借り入れは一挙に増大した。

 このIMFら国際金融機関の主導する融資と構造調整と貿易の自由化は、欧米日の資本進出の先兵であり民間投資の地ならしがその大きな役割なのだ。

 とはいえ、IMFら国際金融組織の投資資金(米国や日本、中国や欧州諸国の出資金)自体の回収や利子の徴収も貧困な諸国民からしっかりむしり取られる。「この機関が一番恐ろしいのは、繰り延べ返済が許されないこと。理由は、利子がとれなくなるからです。やっていることは、民間の金融機関と変わらない」「豊かな国が貧しい国にお金を貸しているのに、貧しい国からどんどん吸い上げられている」[郭洋春・立教大学経済学部教授に岩上安身が聞く第512回]。
 
 「1990年から2007年7月の間に、世界銀行(IBRD)はエクアドルに14億4000万ドルを支払い、同じ期間にエクアドル政府は25億1000万ドルを返済しました。言い換えれば、1990年から2007年7月までの間に、世界銀行はエクアドルの人々(から)10億7000万ドルの利益を上げました」[エクアドルの毒入り融資は世界銀行とIMFから(cadtm.org2021.3)]。

★「債務の罠」

 「2014年にドンバスで戦争が勃発して以来、IMFや世界銀行などの国際金融機関はウクライナに深く関わってきました。2014年以来、世界銀行は84億米ドルを融資し、IMFは170億米ドルを融資し、欧州委員会は少なくとも130億ユーロを同国に融資しています。」「侵略が始まった翌日(今年二月二十五日)、ウクライナは国際通貨基金(IMF)に緊急融資を求めた。その日、世界銀行はまた、ウクライナ政府への〈即時支援〉を準備していると述べた。侵攻が始まる前、欧州委員会はすでに包囲された国に12億ユーロを約束」している。

 「融資はウクライナに莫大なレベルの債務を生み出した。同国は1,290億米ドル(GDPの78.8%)以上の対外債務に溺れており、2022年には140億米ドルを返済すると予想されている。この債務のかなりの部分は国際金融機関に負っています」〔Elliot Dolan-Evans opendemocracy.net2022.3〕

 貸し手は(世界銀行とIMFの)二つしかないから、どんな条件でも飲むしかないという借り入れ諸国からすれば苦しい立場がある。道路や港湾設備などインフラ投資があれば地元経済も雇用増などで一定潤うのだが、その代わりに「構造調整」という国民経済のリストラと市場開放を受け入れざるを得ない。そのような時代が長く続いた。IMFは米国のみが拒否権を維持し、出資比率でそれに続くのが日本、中国と欧州諸国だが、ロシアやインド、ブラジルなどもベストテンに入っている点は見逃せない。

 アメリカ合衆国と日本が主導するADB(アジア開発銀行)では賄いきれない、増大するアジアにおけるインフラストラクチャー整備のための資金需要に応えるという建前で中国が設立を主導したのがAIIB(アジアインフラ投資銀行-加盟国・地域は103)だ。英国など欧州諸国も参加したが、日・米は参加していない。中国政府のシンクタンクである中国社会科学院財経戦略研究院の楊志勇研究員は、AIIB の審査における基本原則の一つとして「政治条件をつけない」ことを挙げている。政治体制や人権問題を融資の判断基準にはせず、批判の強いIMF流の「内政干渉」はしないとしている。少ない条件で柔軟に審査し、審査にかかるプロセスも短縮するというのが売りだ。中国が、開発資金面でも欧米日諸国に対抗できる新たな「極」として力をつけつつあることを示すものだ。 

 とはいえ中国には目指す「一帯一路」構想があり、この構想を実現するためのインフラ整備の金融支援の役割を、AIIB担わせようとしていることは明白だ。一帯一路構想において、中国中心の経済・政治圏の拡大が目指されている。

 債務国スリランカが四月中旬に510億ドルの対外債務全額をデフォルトにする意向を発表した。この問題で西側諸国はうち五分の一の債権保有者である中国の「債務の罠」を非難しているが、IMFなど西側の融資とて五十歩百歩というものだ。あらため途上国の債務問題が問われている。

 話を戻そう。かくして「以前(14年まで)のウクライナの指導者が地政学的ブロックの間(EUとロシアの間)で操縦を試み、社会諸制度削減の方針を選択的に(つまりおざなりに)実行したとすれば、現在(15年時点)のウクライナ指導者は(新自由主義に)完全に屈服し、国際機関の厳しい要求を断固として遵守している」[Кравчук Олександрcommons.com.ua2015]。

 「ウクライナ東部での血なまぐさい紛争の間、ウクライナ政府は、彼らの融資の約20億ドル(利子付き6億6400万米ドルを含む)を世界銀行に返済した、ロシア侵略前に既に300万人が人道的困窮している国にとって、相当な金額である」。世界銀行は恥知らずにも「主に賃金と社会的便益の実質価値の低下によって達成された」と述べた〔Elliot Dolan-Evans opendemocracy.net2022.3〕。

 国際金融勢力と欧米の新自由主義勢力は、今やウクライナの民族ブルジョアジーたちと連携を深めつつ、労働者保護制度の解体や市場改革をあらゆる場所で追及している(戦争のさなかでも!)。

 ウクライナ民衆の眼前にはロシア軍が攻め込んでいる。ところがウクライナが頼りにして裏門から招き入れようとしているIMF・世界銀行らの金融支援は、それと引き換えにウクライナ国民を債務の罠にはめるものだ。

★債務の帳消しを求めよう 

 重債務貧困国の債務問題は、NGOの国際ネットワークである「ジュビリー2000」の債務帳消しキャンペーンを通じて、G8の課題として取り組みが行なわれ、1999 年のケルン・サミットと2000年の沖縄サミットで一応の決着をみることになった。2000年に拡大HIPCSイニシアチブが導入され、1100億ドルの債務帳消しの合意に成功した。当時は2000年末までに20カ国の債務が救済されることが期待されていた。ジュビリー事務局の資料によるとウガンダでは10億ドルの債務がキャンセルされたことにより、多くの子どもたちが学校に就学できるようになった[「IMF・世銀と途上国の債務問題 ―NGOの視点から」長坂 寿久より]

 また別のケースもある。2008年11月より、エクアドルは債務の大部分を返済停止にした。具体的には、ウォール街で取引されているエクアドル証券の利子(32億ドル)の支払いを打ち切った。国際的な金融専門誌は、エクアドルが支払い手段を持ちながらあえて支払いを拒否したことを非難した。しかし、2009年6月、91%の債券保有者が額面の35%で買い戻すという提案に応じた。大まかな数字としては、エクアドルは32億ドル相当の債務を買い戻し、9億ドルを払い戻した。これは、支払うべき資本の20億ドルの節約と、今後支払う必要のない利息の節約に相当する。ラファエル・コレア大統領は2009年8月10日の就任演説で「これは今後20年間で年間3億ドル以上の利益(総額は70億ドル強)を意味し、この金額は債権者のポートフォリオに入るのではなく、国家の発展に使われることになる」と宣言した。[エクアドルの毒入り融資は世界銀行とIMFから (cadtm.org2021.3)]

 エクアドルは、違法な債務を特定し、その返済を停止するために、債務のプロセスを調査することを正式に決定した政府の実例を示した。そして、「債務の罠」脱却の一つのモデルケースだといえる。

 債務の帳消しを求めよう。しかしウクライナの累積「債務」はウガンダやエクアドルの比ではない。1,290億ドルにすでに上っている。これでは巨額融資に責任のある現政権やその支配層では解決不能なのは明らかではないのか?それともウクライナ政権は律儀にも国民窮乏化政策(緊縮財政や社会福祉のこれまで以上の削減や増税において)対外債務の返済の道を目指すのだろうか? 勤労者たちの闘争は不可避であり政権の根本的変革が近い将来に求められるだろう。ウクライナの左翼的党派は今こそこの問題を大衆の中に持ち込むべきだ。(続く・阿部文明)案内へ戻る


  読書室 アントニオ・ネグリ=マイケル・ハート著『アセンブリ:新たな民主主義の編成』 岩波書店 二0二二年二月刊

○二000年の『〈帝国〉』出版以降の著作を振り返りつつ、全四部構成で全十六章からなる全約四百六十頁の本文に、五つの「呼びかけ」と「応答」を織り込み、『〈帝国〉』で初めて問題提起した〈マルチチュード〉概念を一層深化させ練り上げて出来した本である○

時代の画期となったネグリ=ハートの『〈帝国〉』

 二000年、ネグリ=ハートの『〈帝国〉―グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性』は出来した。これによって〈帝国〉と〈マルチチュード〉の言葉はただちに左翼の流行語となり、世界を席巻していった。ネグリらのグローバル化の世界秩序と限定された〈帝国〉の概念規定とは別に、ソ連崩壊後に最大の世界覇権国家となったアメリカがあたかもネグリらのいう〈帝国〉そのものだと理解されたことにより、現下の世界情勢を分析したものとしておおいに注目されたためだったことはほぼ間違いのないことだろう。

〈帝国〉とは

 ネグリらの〈帝国〉とは、「先進国の労働者階級の行った資本との闘争によって、資本主義体制を国家単位で再生産することが不可能になったこと。反植民地主義戦争やベトナム戦争によって、反帝国主義の動きが高揚して、それが資本の核心部分にまで影響を与えたこと。そして社会主義諸国を見舞った危機、つまり自由への要求が高まることによって資本の社会主義的管理が発展できなかったこと」、要は急激に進展しグローバル化する世界秩序下で資本の「諸過程の蓄積が世界的規模で不均衡を作り出」したことにより成立したものであり、その意味ではレーニンの古典的な規定とは明確に異なるものなのである。

 そしてネグリらは、〈帝国〉の内部における闘争と反権力の場を特定し、根元的な要求を確定させた。大事なことは以下の三点。それは、①グローバリズムに対しては世界的次元での市民権を要求すること②移動の権利、最低賃金を「市民としての収入」と見なす権利を擁護すること③生産は「マルチチュード」に属する事実が承認されること、である。

「マルチチュード」とは

 ここで使われる「マルチチュード」とは①「主体の多様性を意味する」。つまり「一なるもの」への還元の誘惑ではなく、逆に還元されざる多様性、点が無数に集まったもの、いわば絶対的に差異化された集合体である。②それは「階級概念でもある。生産的な〈特異性〉の集まった階級、非物質労働のオペレーターの階級である」。分かり易く言うなら第三次産業の労働者たちで、「この新しい労働力は一つの階級ではなくても、極めて強力な生産力である。労働者階級である」。労働者階級の階級闘争はもう存在しないが、今や「マルチチュード」が階級闘争の主体として名乗りを上げた。③つまり「マルチチュード」は存在論的な力であり、それは欲望を表現し世界を変えようとする装置を体現するもの。さらに「マルチチュード」は世界を自らのイメージに似通ったものへと再構築する。つまり「自由に自己表現し、自由な人間の共同体を構成する主観性の大いなる集合的地平として世界を創りかえる」ものだとして、「マルチチュード」の概念を確立させたのである。

『〈帝国〉』後の著作

 こうして0四年の『マルチチュード―<帝国>時代の戦争と民主主義』においてはこれをさらに練り上げ〈帝国〉に対してグローバル民主主義を求める集合主体だと明確化し、0九年の『コモンウェルス―〈帝国〉を超える革命論』においては新自由主義に対して〈共(コモン)〉を基盤とする闘いを戦略的に提起し、十二年には世界的に高揚しつつあった都市叛乱に呼応し『叛逆―マルチチュードの民主主義宣言』を緊急出版して、新自由主義に対する〈共(コモン)〉の闘いを鼓舞し続けた。そして今回の『アセンブリー:新たな民主主義の編成』は、そうした世界的な闘いの総括の中から生み出されたものである。

 その意味では、これらの本は一九六八年の学生反乱に端を発したイタリアでの大衆的な反乱の中で、レーニン主義の立場から労働者の組織化と武装蜂起を主張してきたネグリが既成「共産党」組織のあり方を批判し、これまで依拠した自らの組織を解散し、労働者の自発性に依拠する運動体を創り出した、七0年代イタリア全土に隆盛した新左翼運動の「労働者自治運動」の中で理論的リーダーであったネグリの不断の自己革新の闘争史でもある。

『アセンブリ』の主要な目次

 それでは二0一二年から世界的に高揚した都市叛乱に呼応し出版した『叛逆』で新自由主義に対する〈共(コモン)〉の闘いを鼓舞し続けた後に運動の終息を見届けた上で、これらの運動を真剣に総括した、今回の『アセンブリー』の目次を紹介することにしたい。

日本語版への序文

■第一部 指導(リーダーシップ)という問題
第一章 指導者(リーダー)はどこへ行った
第二章 ケンタウロスの戦略と戦術
第一の呼びかけ──運動に戦略[立案の役割]を
第三章 反ルソー、あるいは主権と訣別するために
第二の呼びかけ ── 非主権的制度を発明せよ
第一の応答 ──政治的プロジェクトを社会的生によって基礎づけよ
第四章 右翼運動という暗い鏡
第五章 本当の問題は別のところにある
第二の応答──協働的連合の多元的存在論を求めよ
第三の呼びかけ──権力を奪取せよ、しかしこれまでとは別の仕方で
■第二部 社会的生産
第六章 いかにして所有を〈共(コモン)〉へと開くか
第三の応答──〈共(コモン)〉は所有財産ではない
第七章 われら機械状主体
第四の呼びかけ──固定資本を取り戻せ(「人間それ自身がこの固定資本なのである」)
第八章 反転したヴェーバー
第四の応答──国家を粉砕せよ
第九章 マルチチュードの起業家活動(アントレプレナーシップ)
第五の呼びかけ ──マルチチュードの「起業家活動(アントレプレナーシップ)」
■第三部 金融の指令と新自由主義のガバナンス
第一〇章 金融は社会的価値を捕獲する
第一一章 貨幣は社会関係を制度化する
第一二章 失調する[=蝶番から外れた]新自由主義的行政管理
第五の応答 ── 強力な主体性を生産せよ
■第四部 新しい〈君主〉
第一三章 政治的リアリズム
第一四章 不可能な改革主義
第一五章 そして、いま何を?
第一六章 羅針儀海図

『アセンブリ』の提案とは

 先に世界的に高揚した都市等での叛乱に呼応して『叛逆』を緊急出版し、新自由主義に対する〈共(コモン)〉の闘いを鼓舞し続けたと書いた。これらの都市叛乱は結局は敗北していったが、それは一体なぜだったのだろうか。これがネグリらの問題意識である。

 端的にはそれらは指導者不在の社会運動として終息していったのだが、なぜ持続的な政治組織や政治制度へと変化できなかったのか。真の社会変革をもたらすためには何が必要なのか。一旦開始された構成的権力をどのように維持させ、「絶対的民主主義」へと制度化させるのか。ネグリらはこれらのことを本書『アセンブリ』で追求していったのである。

 本書の目次をもう一度見て欲しい。そこにはまさに指導(リーダーシップ)が取り上げられている。従来の中央集権的・権威主義的な「指導」の垂直性を評価する立場と、指導者の見えない自然発生的運動の水平性をあがめる立場との両方を拒否しつつ、ネグリらはマルチチュードの「集会=集合形成」の可能性や、共に集まり協調して政治的に行動する力を高く評価する立場を押し出した。つまりネグリらは、指導の内実である二機能を「意思決定」と「集会=集合形成」(アセンブリ)とに分けて伝統的・前衛党的指導概念批判を堅持しつつ、他ならぬマルチチュード自身にこそ決定権があることを強調したのである。

 このようにしてネグリらは従来のように指導者が戦略を立案し、大衆がそれを実践するものだとの考えを逆転させ、マルチチュード自身が戦略を立て指導者が戦術を立案して彼らの戦略を下支えする構想を打ち出したのである。まさにここに彼らの発想の転換がある。

 この構想ではマルチチュードが新自由主義と向き合う創造的な「起業家活動」を行い、「諸々の機械、知識、資源、労働」を新自由主義とは別の仕方が結びつけ、自律的な社会的生産・再生産を促進する。又さらには「生きた労働と生きた知識」からなる「固定資本」(=機械や私たち自身)の再所有を通じて社会的生産・再生産における〈共(コモン)〉の領域を拡大し、〈共(コモン)を作ること〉をめざさなければならないのである。

 このマルチチュードの「起業家活動」は、マルチチュード自身の自己組織化と自己統治を意味するものであり、又このような潜在能力を顕在化させるには諸々の闘争と「集会=集合形成」(アセンブリ)を発展させてゆかねばならない―これがネグリらの見解である。

 これまでネグリら関しては、一体革命主体とはマルチチュードなのか労働者階級なのかの対立がおおいに論議されてきたが、今回ネグリらによる労働者階級概念の再考察は、ついに多種多様な闘争の総括の中で「マルチチュード的階級」と呼び直されるに至った。

 ネグリらが求めるものは、諸闘争間の交差と連帯によって節合された新しい階級政治、言い換えれば「マルチチュード的階級」による「多種多様性の政治」を創出しなければならない―「これがこの階級の節合様式であり、アセンブリの様式」と結論できるのである。

新しい〈君主〉とは

 最後に又本書の目次をご覧頂きたい。第四部に新しい〈君主〉とある。ネグリらが認めているように本書は、マキァヴェッリの強い影響の基に書かれた。とはいえ新しい〈君主〉とは個人でも中央委員会でも党でもない。マルチチュードの〈君主〉とは、すでに社会に存在し、又社会全体に広く分散しており、条件が整えば合体して固体となる。それは単純に一つにまとまるのではなく、諸々の特異性がハーモニーと不協和音、共通のリズムとシンコペーションを醸し出す。まさにこれらの特異性こそが〈君主〉を合成するのである。

 以上、本書『アセンブリ』の見解の核心部分を、私の立場から端的に読み解いてみた。

 読者には、ネグリらの問題意識と見解をぜひとも検討して貰いたいものである。(直木)

 
  「何でも紹介」・・・『戦場で書く/火野葦平のふたつの戦場』(朝日文庫)

 渡辺孝氏が書いた『戦場で書く/火野葦平のふたつの戦場』を紹介する。

 この本の主人公である火野葦平は、皆さんも御存知のアフガニスタンで銃撃を受けて亡くなった中村哲さんの伯父にあたる人。親戚なので中村哲さんも火野葦平の事をよく知っていた。

 作者である渡辺孝氏が生前の中村さんに「インパール作戦従軍記」(インパール作戦に従軍していた火野の従軍手帳を翻刻して書き上げた作品)という本を送ったところ。

 「改めて あしへいにふれ、平和の意味をかみしめています」また「いま伯父が生きていれば、器用に変転する近ごろの猛々しい世情に対して思うところがあったでしょう」。との返事があったと言う。

 火野葦平はペンネームで、本名は玉井勝則。戦後、数度にわたって映画化された「花と龍」の原作者(この映画の主人公が父親の玉井金五郎。裸一貫で北九州・若松の沖仲仕のとりまとめ役となり「玉井組」を立ち上げた人物)。戦後混乱期の北九州のヤクザ闘争を描いた「新遊侠傳」は、「ダイナマイトどんどん」と改題され、岡本喜八監督、菅原文太主演で大ヒットした。原作が映画化された作品は26作にものぼると言う。

 しかし、1960年1月23日夜、突然火野葦平は自殺する。まだ53歳という若さだった。葬儀をすませた後に見つかった遺書に、次のような言葉が綴られていた。

 「死にます。芥川龍之介とはちがふかもしれないが、或る漠然とした不安のために。すみません。おゆるし下さい。さやうなら」(昭和53年1月23日夜。十一時あしへい)
 息子の史太郎さんは「父はなぜ死を選んだのか、いまも問い直し続けている」と言い、「やはり、戦争の責任を父が感じていたことは間違いありませんね」と述べている。

 作者の渡辺氏は、この自殺の原因について取材を続ける。

 はじめて、作家・火野葦平が注目を集めたのは日中戦争の最中のことで、作品「糞尿譚」で芥川賞を受賞した。当時、火野は陸軍伍長として、中国・杭州の前線にいた。芥川賞作家ということに目をつけた陸軍は、火野を説得し、報道班に引き抜いた。火野はその期待にこたえ、各地の戦場で作品を書く。

 1938年(昭和13年)に発効された「麦と兵隊」は、銃後の日本で大ベストセラーとなり、この作品で火野の戦争作家としての地位は揺るぎないものとなった。以後、太平洋戦争が終わるまで7年間にわたり、各地の戦場に行き、そこで戦う兵士をテーマにした作品を次々に発表し続けた。

 渡辺氏は、火野がどこの戦場でどの作品を書いているのかについて調べている。まず日中戦争の時代は、上海、南京、杭州、徐州、広東、海南島。まさに日本軍が泥沼にはまっていった戦いの軌跡そのもの。次に太平洋戦争の時代は、フィリピンのマニラ、バターン半島、インドのインパール、中国の雲南と。大東亜共栄圏確立に向けて進み、やがて敗走に転じた日本軍の歩みが重なり合う地域だった。火野は日本が進出したアジアの戦争と、文字どおり共に歩んでいたのである。

 しかし、敗戦後の日本では火野に対する評価は一転する。国民的な作家として賞賛されていた火野はたちまち「戦犯」呼ばわりされるようになり、多くの人たちから批判を浴びた。その中には、戦争中に火野が愛してやまなかった日本軍の元兵士たちもいた。
 敗戦から15年後の1960年の元旦に火野があとがきを脱稿し、遺作となったのが原稿用紙1000枚の大作「革命前夜」である。それからおよそ3週間後、火野は自ら死を選び取った。

 これらの取材を通して、渡辺氏は戦後の火野が戦っていたのは「ふたつの戦場」なのではないかという。ひとつは「実際の戦場」、そしてもうひとつは「戦後の日本社会」だった。ひとつ目の戦場を火野はくぐりぬけたが、ふたつ目の戦場で火野は力尽き果てたと。

 火野は断筆してもよかったのに、何故書き続けたのか。そして自らを死に追い込んでいった「或る漠然とした不安」の実体は何なのだろうか?と言う疑問にぶつかり。

 渡辺氏はふたつ目の戦場の実態を探ろうと考え取材を再開した。そこで見えてきたものは・・・。この続きは是非とも本をお読み下さい。

 私が今回読んだこの本は2020年6月30日「朝日文庫」が発行したもの。この本書は2015年10月、NHK出版より刊行された「戦場で書く、火野葦平と従軍作家たち」を改題したものである。

 なお、著者の渡辺考氏は「NHKのプロデューサー」としても「作家」としても素晴らしい作品を残している。他の作品も是非お読み下さい。(富田英司)案内へ戻る


  川柳 (2022/6)作 石井良司

 麦の秋農夫のいないウクライナ
 本土並み問うて祝えぬ五十年
 林住期まだワクチンに夢託す
 着膨れを一枚脱がす春うらら
 プーチンへ改憲支持がこぶし挙げ
 玉ねぎの高値カレーは一休み
 オミクロン北の驕りを嘲笑う
 泥縄のコロナ対策無念の死(「泥」)
 春の陽を夢見て眠るチューリップ(「冬」)
 頼まれたフリして買った紙おむつ(「笑いのある川柳」)
 飽食も飢えも知ってる昭和の胃(「胃」)
 コロナ禍も明日を祈る大落暉(「落」)
 落ち込んだ昨日を今日の風に干す(「落」)
 脱炭素急げと諭す砂時計(「計」)
 コロナ禍の荼毘の煙は涙色(「煙」) 
 招待に義理の拍手を持っていく(「ゲスト」)
 プラの海消すに消せない人のエゴ(「消す」)
 名人の扇子百態演じ切る(「芸」)
 ガンの妻今度はボクが杖になる(「大丈夫」)
 八十路過ぎ夢へヨットの帆を上げる(「さすが」)
 幸せは忘れた頃で丁度よい(「丁度」)
 ゴミ出し日値引きシールをはがす見栄(「栄」)
 AIを超えて聡太の指す一手(「超」)
 但し書きへサインに迷う契約書(「サイン」)
 領収書サインの要らぬ文通費(「サイン」)
 目のサイン通じ合ってる共白髪(「サイン」)
 昨日の新聞今日は資源ごみ(「捨てる」)


  大阪 カジノの是非は住民投票で!署名 法定得票数突破!カジノはいらない!

 カジノを大阪に作るのかどうか、住民投票の実施を求める署名活動は、5月25日に終わりました。  市民団体「カジノの是非は府民が決める住民投票をもとめる会」は、大阪府内で2ヵ月間にわたり、署名集めを続けてきました。  地方自治法は、有権者の50分の1の署名があれば、知事に、住民投票条例の制定を請求できるます。必要な署名数は、約14万6000筆です。

 5月25日現在、157716筆です。何と法定得票数突破です。1日で21764筆プラスです。これにプラス、各地で集計できていない署名があります。

 それと、この署名期間中に選挙があってその間署名活動できなかった、豊中市、泉南市、河内長野市、泉佐野市は、参議院選挙後に何日間か署名活動ができます。これは、たいへん重要です。署名数にいくらかの無効票が出るでしょうから、1筆もムダにはできません。まずは活動の成果を喜びたいと考えます。

 私も、この署名を集めるために受任者になりました。街頭署名をしていての反応を紹介します。

「カジノはいらない。そんなお金があるなら、医療や生活支援に使ってほしい」、「カジノに賛成やけど、住民投票はやったらいい」と署名していただきました。

 否定的な反応としては、「知事や市長を信じている。だから、カジノはやったらいい」、「署名はしない」、無視して通り過ぎる、などでした。

 この署名活動を通じて感じたことは、大阪の住民運動の底力です。2度にわたる住民投票で大阪市廃止・分割=トコーソーを否決したパワー健在です。(河野)


  「沖縄通信」・・・「沖縄本土復帰50年」を問う!

 沖縄は5月15日「本土復帰50年」を迎えた。NHKを初めマスコミ各社は連日「沖縄復帰50年」関連の番組や記事を流し続けた。政府は「沖縄復帰50周年記念式典」を東京会場と沖縄会場を繋ぎ開催したが・・・。

 沖縄からは「本土復帰50年」を喜ぶ声は少ない。それどころか、この「本土復帰」に関する問題点を指摘する意見が多くみられる。

 東京新聞に載った沖縄の人の投稿を紹介する。タイトルは「祖国なんかじゃない」。記事は「5月15日は、沖縄が日本『本土』に復帰した日だが、今年は50周年だという。個人的な意見だが、沖縄は日本『本土』になんか帰らなければよかったと思う。復帰した年に私は幼稚園児だった。那覇市の安謝幼稚園の出身だが、隣接する米軍住宅(今の新都心)から中学生くらいの米国人の少年2人が金網を越えて出てきて、1人がライフルを僕ら園児に向けて構え、同じ校庭で遊んでいた安謝小学校の児童らとくもの子を散らすように四方八方パニック状態で逃げた。200~300人で逃げた。50年たっても、在沖の米軍やその軍属の犯罪はなくならない。形ばかりの『本土』復帰であり、日本=ヤマトは沖縄をトカゲの尻尾みたいに切り捨てたままだ。沖縄人は日本人なんかじゃないし、事実いまだに沖縄へ多くの米軍基地を押し付ける日本なんかに、帰る必要なんかない。同化する必要なんかない!何が復帰50周年だ。日本『本土』は沖縄の祖国なんかじゃない!」

 また、私の沖縄の知人も「『核抜き、本土並み』が当時の復帰運動を一生懸命にやった大人たちの合言葉だった。復帰すれば、核も沖縄から無くなり、日本国憲法に守られ、米軍のやりたい放題もなくなると信じていた。しかし結果は全く逆で、沖縄が思い描いていた復帰とは程遠い内容となった。」と述べている。

 今回、私もあらためて50年前の「本土復帰」の事を調べてみた。そこで、一番参考になったのが沖縄の平良亀之助さん(現在86歳、当時は復帰対策室の職員)が書いた文章である。(「週刊金曜日5月13日号」の特集「1972沖縄・同意なき50年」)

 初の公選主席となった屋良朝苗氏が率いる琉球政府が、「復帰措置」に関する法律案を総点検し、意見と要望をまとめた文書「復帰措置に関する建議書」が有名である。しかし、その「建議書」を作成する琉球政府の作業の道のりは大変厳しかったと言う。

 1972年5月15日、日米の合意によって琉球は日本に復帰したが、その合意は1969年11月21日の日米首脳会談(佐藤・ニクソン会談)の共同声明で発表された。これを受けて、琉球政府は施政権返還に伴う事務を担当する「復帰対策室」を新設する。

 この「復帰対策室」の準備要員として平良亀之助さんも参加。その後、屋良主席に進言する行政府内の「行政研究会」がスタートしこれにも参加。それに対して、日本政府は復帰前年の1971年10月16日「沖縄国会」とした臨時国会を開催し、「沖縄返還協定」と「復帰関連法」をすべて成立させる作業を進めていた。

 琉球政府は復帰後の沖縄が死ぬも生きるも、この「沖縄協定」と「関連法案」の中身次第だと言う事に気がつき、急きょ関連法案すべてを総点検する「復帰措置総点検プロジェクトチーム」を立ち上げた。この総点検作業には琉球政府の職員だけでなく、大学の教授や弁護士、民主団体の活動家等も加わったチームが結成され、なんとか文章をまとめ「意見書」として屋良主席に提出する。

 不眠不休で書き上げた「意見書」から、内容の重さを鑑みて「復帰措置に関する建議書」と変更して、1971年11月17日この「建議書」を携えて屋良朝苗主席は飛行機で東京へ向かった。

 だが、屋良朝苗主席が羽田空港着いた午後3時すぎ、国会では「衆議院沖縄返還協定特別委員会」で復帰関連法案の審議の最中であり、野党議員の質問途中にもかかわらず、自民党から緊急動議が出され、「返還協定」と「復帰関連法案」が自民党議員の賛成多数で可決されてしまった。

 この事を聞いた屋良主席は建議書を手にしたまま茫然として「破れた草履のように踏みにじられた。」と述べたという。

 建議書の理念を50年も語り続けてきた平良さんは「建議書は国会における強行採決により日本政府には届かなかったが、その建議書の中身は沖縄が日本本土並みの状況にならない限り『復帰措置に関する建議書』は有効であり生きていると確信する。」と述べている。

 復帰時当時の佐藤栄作首相は口を開けば「核抜き・本土並み」と言っていたが、それが実現されないどころか沖縄の基地負担は増すばかりだ。(富田英司)案内へ戻る


  色鉛筆・・・ 「兵器は凶器である」「戦争はいけない。」と言い続ける

 ミサイル攻撃によって街が破壊され命を失う映像に衝撃を受けながら「どうしてまた戦争をするの」「どうして子どもが犠牲になるの」「どうして命を守らないの」と疑問に思うことだらけだった。日を増すごとにウクライナとロシアの戦闘が激化していくありさまはかつての第一次・第二次世界大戦、ベトナム戦争、湾岸戦争のようでまた同じ過ちを繰り返しているではないか。戦争が起こるたびに多くの命が失われ平和な社会を求めようと誰もが声高に叫ぶのに国の支配層たちは、口ではきれいごとを言いながら反省も謝罪もしないでまた戦争を起こし加担している。戦争というのは殺傷し続けていくうちに極度の恐怖心から冷静な判断ができなくなり「略奪」「虐殺」「強姦」という残虐性をもたらしてしまう。かつて日本が中国、朝鮮で行なったように。戦争で常に犠牲になるのは国の支配層ではなく多くの市民だ、命を家族を人生をすべて奪われてしまうのが戦争だ。その戦争を起こす支配層は犯罪者ではないか。

 友人と戦争の話しになり「どんな理由があっても戦争は嫌だね」と話した後に友人から住井すゑさんの「九十歳の人間宣言」(岩波ブックレットNO272)を勧められ読んでみた。すると『命を大事にすること』『国があるから、国防だといって国を守るために軍隊が必要だと、人殺しが始まる。国家はいらない地球ひとつあればいい』『兵器は凶器である』『初めから人殺しを目的に作った武器はすべて凶器である』と。言葉ひとつひとつに納得して私の思いがあらわされていた。驚くのはこの本は1992年住井すゑさんの記念講演会が開催され、その内容を完全収録したものでなんと30年前の言葉が今もそのまま通用することだ。凶器になる兵器を持っていると殺し合いをするのだからどの国も兵器を持たなければ戦争は起こらないはず、凶器になる兵器はいらない。

 そして、5月3日に憲法記念日講演会があり水島朝穂さん(早稲田大学法学学術院教授)は今回のウクライナ侵攻について『BBC・CNNメディアは信用できなく劇場型ニュースを拡散している。感情に惑わせられてはいけない』『バイデンはアメリカの軍事産業の為に戦闘機を消費させようと在庫を一掃している』『1968年のチェコ事件では非暴力で体制移行が行われた』『戦争を止めるには武器を援助しないこと』等々話していた。ロシアもウクライナも市民の命は二の次で戦争をしているが、戦争をしないで解決できることはできなかったのだろうか。軍事支援をしている国の支配層は軍事産業の企業が儲かるように資本家のために戦争をしているのか。資本家のために戦争をするとは絶対に許せない!

 別の友人たちに私が「何よりも命を守ることが大事だから戦争はしないことだね」と話すと「抵抗する武器もなくウクライナの人々がすり潰されてもいいのだろうか」「侵略者を打ち負かすために旗を振るのは悪いことなのか」と反論されてしまった。これではもし日本が侵略されたら戦うことを認めることになってしまう。私は戦いたくない。武器を持っていなければ相手は攻撃しないのだから武器は持つべきではない。ロシアにもウクライナにも命を失った多くの人たちがいる。これ以上戦いを続けるのではなくロシアもウクライナも武器を置いて向き合って欲しいと思う。こうした考え方は稚拙で怖がりで弱い人間なのだろうかと、自分に問うていた。

 すると、朝日新聞(5月18日)多事奏論のコラムで高橋純子さんが『ロシアのウクライナ侵攻を受けて、敵基地攻撃能力を持つのだ、核共有も議論しろ、防衛費を増大するぞ、憲法9条を改正すべきだなどと、勇ましい政治家が・・・やかましい。粗雑な議論で性急に「答え」を出そうとする政治家を私は信用しない』と批判している。まったくその通り!まさしく自民党議員だ。さらに『彼らは往々にして、戦争はいけないが・・・、と前置きしてのち語り出す。しかし、「戦争はいけない」に「が」や「けれど」を接続させるから、つるり戦争の方へと滑ってしまう。「戦争はいけない。」。まずはそう言い切ること。小さな「。」の上にかじりついてでも考え抜くことができるか否か。・・・愚鈍な臆病者とそしりを受けるのだろう。私はそんな臆病者として生きたい』と書いている。このコラムを読んで、戦争はしないではなく「戦争はいけない。」と言い切って臆病者と言われてもいいんだよと、教えてもらい私のもやもやしていた思いがすっきりした。

 ウクライナ侵攻が始まってからこの時ばかりと、ロシアを悪者にして軍事優先の声が高まり、自民党は憲法を改正して戦争ができる国にしようとしている。自分の子どもや孫が戦争に行くのは絶対に嫌だと誰もがそう考えている。何としても阻止していかなければならない。住井すゑさんの「命を大事にする」という言葉のように命を守るために「兵器は凶器である」「戦争はいけない。」と言い続けていきたい。共にウクライナやロシアでも戦争に反対している人たちは必ずいるはずだ。その声が拡がって戦争が終息することを願いたい。(美)


   コラムの窓・・・熱い港 大正十年・川崎三菱大争議!

 本紙前号一面で、川崎造船の8時間労働制が取り上げられていました。そういえば、私はその碑を見たことがあると探してみたら、出てきました。設置された当時の新聞切り抜き、碑の写真、争議を記録した武田芳一氏の500ページを超える書籍。古本屋さんで入手した1979年刊のこの書籍、読み切れなかったようで、なかほどに1994年9月2日付けの私が当時加入していた組合のビラが挟んでありました。

 いずれも遠い昔のことなので、内容については紹介文を引用することにします。
「大正10年、夏 神戸は空前の大争議のルツボと化した。真っ向から対立する労使の争闘の炎は、5万人の労働者、警察、軍隊をも巻き込み、45日間にわたって市中を焦がし続けた。その渦中に人生を、青春を、生命までも投じた人々の〝無念の思い〟が今ここに生き生きと浮かび上がる。15年の歳月をついやし、史実の核心に迫った著者のライフワーク!」 *争議に起因した死者は5名を超える。

 著者の武田芳一氏は1910年兵庫県生まれ、医師で直木賞候補になったとあります。この争議とどのような関係なのかは不明ですが、あとがきに執筆の動機が次のように記されています。大争議は1921年6月末に始まり、8月9日の争議団による惨敗宣言という結末となっています。

「当時、大半は無自覚な未組織労働者であった。ごく少数の人々が、労働者の啓蒙団体・友愛会やそのシンパである知識人の指導を得て、アクティブな精鋭となり、一般職工を立ち上がらせたのである。精鋭化した人々は、大争議の勝利が資本主義を崩壊させ、労働者の社会を実現させるのだと本心から信じ、みずからの青春を、人生を、そして生命までもかけて闘った。惨敗した彼らは、大正デモクラシー最初の挫折体験者でもあった。だが、悲惨の最大限を背負わされたのは、家庭にいた親や妻や子供たちである」 *最後の章は「惨敗の歌」とある。

 示威行進(デモ)が行われた神戸市街地図が綴じてあり、デモは東遊園地から川崎や三菱の造船所まで続いています。最近神戸で行われるデモは東遊園地から元町までで、その3倍くらいの距離はありそうです。しかも、国粋会系暴力団から襲撃されたりしています。

 手元に巨大商社・鈴木商店の歴史をたどった「遥かな海路」を連載した、2017年1月22日の「神戸新聞」もあります。3万人のデモ行進についての記述は次のとおりです。
「7月10日朝。神戸・会下山公園に3万人余りの男たちがひしめいていた。『勝迄戦う』と書かれたのぼりが揺れる。

 午前8時半、社会運動家の賀川豊彦らを先頭に大行進が始まった。新開地を抜けて川崎造船所や三菱造船へ。労働組合の承認や解雇手当支給を求める列は約10キロに及んだ。

『川崎・三菱大争議』と呼ばれる空前の労働争議がクライマックスを迎えた」

 さて、8時間労働制の碑には社長の〝英断〟が記されていますが、職場の労働者がおかれていた過酷な労働環境がこの争議を発生させ、労働者の血が流されたことを忘れてはならないでしょう。なのに、それから1世紀を超えた現在の醜態はどうでしょう。8時間労働制はどこに行ったのでしょう。資本主義は地球環境を破壊するまでに生産力を増大させ、腐臭を放ちつつ労働者を貧困に投げ込み続けています。

 そうしてあがなった富で、宇宙旅行までしようという輩まで登場しています。川崎三菱に続く無名の労働者たちの苦闘を無駄にしてしまったような現状の、その責任の一端は私にもあるのだろうと思いつつ、せめていまできることを頑張らなければと思います。著者の署名入りのこの重い書籍を目の前に、もっと早くに読み通しておくべきだったと反省するばかりです。 (晴)
 
  「八時間勞働発祥之地」記念碑!

 この碑は1993年11月、神戸ハーバーランド内に建立された。11月29日に行われた除幕式を伝える「神戸新聞」は、1919年に川崎造船所(現川崎重工業)が全国に先駆けて導入したこと、また「来春から、週40時間労働制が始まるのを機に、先見の明への顕彰と労働時間短縮への啓発を狙い準備が進められていた」と報じている。

 さらに、作品は「御影石の台座に、磨きあげられたらせん状のステンレスを組み合わせている。高さ2・5メートルで、ステンレスの部分が、無限に続く時間の中で、8時間の労働時間を表現している」と解説している。碑そのものには、川崎造船所の松方幸次郎社長が我が国で最初に8時間労働制を実施したことを記念してここに碑を建立した、と(社)兵庫労働基準連合会が記している。

 以上、当時の新聞の切り抜きからの引用だが、「神戸市立中の〝丸刈り強制〟 廃止校 半数超す」といった見出しも見られ、30年近く前の世相が垣間見られる。ムダに新聞を切り抜いたりしてると思いつつ、何かタイムスリップしたように過去を振り返ることもできたりするものだと、ひとり悦に入っている。 (晴)

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