ワーカーズ670号 (2025/9/1)
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敗戦から八十年 全国戦没者追悼式と靖国神社慰霊式
今年も八月十五日がやってきた。八十年の節目となる今年は注目すべきことがあった。
注目の二つの儀式が行われた場所は、一方は武道館、他方は靖国神社だ。一方は天皇が列席し政府主催の国家行事である全国戦没者追悼式、他方は一宗教法人が挙行する私的慰霊式である。当然のことながら内閣総理大臣は武道館の行事にのみ参列したのである。
一方の石破総理は「戦争の惨禍を決して繰り返さない。進む道を二度と間違えない。あの戦争の反省と教訓を今改めて深く胸に刻まねばなりません。未だ争いが絶えない世界にあって、分断を排して寛容を鼓し、今を生きる世代とこれからの世代のために、より良い未来を切り拓きます」との式辞を述べた。一分間の黙祷の後、天皇も「戦中・戦後の苦難を今後とも語り継ぎ」「戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い」「全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展」を祈ると述べたのである。
今回、安倍談話で排除された「反省」や「深い反省」の言葉こそ復活したものの、村山談話から始まったアジア諸国への謝罪はない。これが彼らに出来る精一杯のことなのだ。
他方の靖国神社では、今回躍進した参政党は、国会議員全員と地方議員有志との合計八十八人で集団参拝を決行した。政治党派としては驚くしかない愚劣な破廉恥行動である。
神谷宗幣代表は、この行動を「二度と日本が戦争に巻き込まれないように、戦争の惨禍にあわないように平和を守る政治をしたいという思い」を今日お伝えしたものとした。
さてほとんどの日本人は、国連体制下の国際政治秩序に関して決定的に無自覚である。
サンフランシスコ平和条約第十一条に書かれているように日本は東京軍事裁判の判決を受け入れたからこそ独立できたのだ。この決定的な事実を神谷代表は知らないのである。
そもそも戦死者を祀る靖国神社に刑死したA級戦犯が合祀されたことは時の宮司の独断であり、あってはならないことである。それ故、これ以降靖国神社を公人として参拝することは、つまり国連体制での世界秩序に公然と異を唱え、挑戦することと同義なのである。
その法理をよく知る昭和天皇・平成天皇・今上天皇の歴代三代の天皇は、靖国神社の参拝はできない。当然のことながら総理大臣の参拝も米国等は決して許さないのである。
神谷代表は、首相が靖国神社を参拝しないことについては、「色々な外交上の問題等を考えておられるんだと思います」としたが、この発言ほど国際秩序に関する彼の無知蒙昧を特徴づけるものはない。参政党こそまさに国の進路を再び誤らせる最右翼である。(直)
〝反省〟〝平和〟のかけ声の裏で進む戦争準備
8月は、戦争への反省と平和への願いが語られる特別の時期だ。
しかし現実は、その言葉をかき消すかのように、着実に戦争準備が進行している。反省や平和の想いは、現実の反戦・平和への行動に繋げることで、より大きな力になる。
8月は6日と9日の広島・長崎の原爆被害者への鎮魂と、15日の実質的な敗戦の日への反省と平和への誓いで満たされる時期だ。石破首相も、一応、〝反省と教訓〟を口にした。
加えて、今年は戦後80年の区切りの年でもあった。それだけに、例年の夏以上に、様々な言説も、メディアに登場した。
……………………
◆着々と進められる戦争準備
そうした8月も終わり、振り返ると、戦争への反省や平和への願いをかき消すかのように、多方面で、戦争準備が進む。ここ数年、あちこちで〝戦後00年〟ではなく〝新たな戦前〟だとの警句も聞かれる。実際、私たちが日々目にし、耳に入るのは、着実に戦争に向かって進みつつある現実だ。
米国や日本では、対中脅威論や包囲網づくりを煽る言説が拡がっている。実際、唯一の覇権国家を維持したい米国も、対中包囲網づくりに軸足を転換しており、日本は米国以上に対中脅威論と対中封じ込め戦略を隠さなくなっている。
安倍元首相が語ったように、「台湾有事は日本有事であり、日米同盟の有事でもある」と語り(21・12・1)麻生なんとかが、23年8月にわざわざ台湾に行って〝闘う覚悟〟が大事だなどと戦争を煽る、情けなくも危険な現実がある。
実際、米国の覇権国家保持の姿勢は、現トランプ政権でも既定路線だ。日本も、それに輪をかけた対中包囲網づくりで、主導的役割を果たしている。
中国はといえば、中国の〝社会主義〟は誕生当時から虚構であって、かつての日本の侵略からの解放という過去の遺産にばかりしがみつくことはできなくなっている。
そこで習近平政権が国家と政権の正統性の根拠として押し出しているのが、〝中華ナショナリズム〟を土台とした台湾統一だ。ただ、習政権の任期を考えれば、〝平和統一〟ではなく、〝武力統一〟に走る可能性もゼロではない。覇権抗争のエスカレーションこそ、最悪の結果を招き寄せる張本人だ。
挿入表――25年前半の戦争準備
○2月10日 三カ国の空母が参加した日米仏海軍(海自)による初の共同訓練始まる
○2月24日 日比、対中を念頭に戦略対話親切、防衛協力強化で合意
○3月21日 元自衛隊統幕長、台湾行政院の政務顧問への就任が明らかに
○3月24日 自衛隊統合作戦司令部発足、司令官 南雲憲一郎空将
○3月24日 陸海空自の共同部隊「自衛隊海上輸送群」発足、10隻体制目指す
○3月27日 政府、先島諸島住民12万人避難の「初期計画」を公表
○3月30日 中谷防衛相、米国防長官に、『ワンシアター(一つの戦域)』構想を伝える
○5月 5日 日印の防衛相会談、防衛協力、共同訓練の拡大で合意
○6月24日 長射程の「88式地対艦ミサイル」、「中国念頭」に北海道で国内初の実射訓練
○5月16日 能動的サイバー防御法成立
○7月 9日 陸自佐賀駐屯地にオスプレイ配備始まる。相浦の水陸機動団との統合運用を想定
○8月 4日 ~12日 日米英豪など6カ国が空母など参加した共同訓練
○8月 5日 豪、新型護衛艦の日本との共同開発で合意、日本は初の大型兵器輸出
○8月 7日 宮崎県新田原基地にF35B配備始まる
◆南西シフトと共同軍事訓練
いま日本は、対中封じ込めに向けて、米国と歩調を合わせ、NATO諸国や太平洋・インド洋を含めた包囲網づくりを進めている。象徴するのが〝自衛隊の南西シフト〟だ。
かつての対ソ連シフトは遠い過去のもの、今では米軍も含めて、自衛隊の軍事資源は沖縄をはじめとした南西諸島に集中的に配備されている。そして、それを支える後方態勢として、九州や中国地方での航空・海上自衛隊の増強が続いている。また北海道も含めて、有事に即応できる兵員・兵器の南西方面への輸送力強化をはかっている。そうした軍事力の即応態勢に加え、実戦での軍事力発揮をめざして、各種の共同軍事訓練も重ねている。
報道によると、統合幕僚監部を新設した06年当時と比べ、23年の共同軍事訓練は18倍にも増えている(24・3・3読売新聞)。しかも、台湾有事などを想定した「戦術・戦闘訓練」の比重が増え、6割を超えた、という。
◆〝台湾有事〟で日本は〝最前線〟
日本は、戦後憲法で戦争放棄と戦力の不保持を明記したことで、〝平和国家〟の看板を掲げた。その後、自衛隊を持つようになっても、専守防衛を明記することで、平和国家の旗を降ろさなかった。
別項では、そうした日本が、どういう理屈立てで、いつ頃から他国の戦争に参加したり、先制攻撃もできる国に変質していったのか、簡単に跡づけてみた。
安倍元首相は〝台湾有事は日米安保の有事だ〟とも言ったが、現実は、米国は台湾防衛に乗り出すのか、明示していない。米台は同盟関係にないし、台湾関係法は外交方針ではなく国内法なので、議会での中国への宣戦布告には繋がらない。
ウクライナ戦争でもガザ戦争でも、米国は、兵器・弾薬は送るが自国軍は派遣していない。
いま現在でも、台湾海峡の緊張が増しても、米軍は、在日米軍の増派はしていない。逆に米軍再編だと称して、海兵隊などは、南西諸島など第一列島線からグァム・テニアン島など第二列島線へと順次、後退させている。F35戦闘機も、嘉手納基地での常駐からローテーション配備に切り替えている。それだけ第一列島線は米軍にとって危険度が増しているからだ。ヘグゼス国防省も〝最前線は日本だ〟と明言している。
要するに、台湾有事に際し、米国は正面対峙しない可能性が高い。対峙させられるのは、豪州でも比でも韓国でもない。結局、しゃかりきに南西シフトを進める自衛隊にならざるを得ない。
◆日米中どこでも反戦の闘いを!
米中覇権争いで、仮に、日中が最前線で全面戦争になると、日本の破滅は明らかだ。
なぜ日本はそれほど対中封じ込めに躍起になっているのか。一言で言ってしまえば、日本が〝アジアの盟主〟の地位を手にしたいという、思惑であり利権だ。それが東洋の奇跡といわれた明治維新後のいち早い近代国家づくりの進展であり、また、敗戦後の世界第二位の経済大国に上り詰めたという驚異的な飛躍を背景とした野望と繋がっている。
ただし、戦後の日本は、対米関係上、あるいは対アジアとの関係において、自立的な軍事大国化が難しい状況下にあった。なので、日本の軍事大国化は、日米軍事同盟の枠組みのなかで追い求めるしかなかったわけだ。
とはいえ、どういう背景と思惑があったとしても、そうした野望とは対峙していく以外にない。かつての戦争でも、大きな声、勇ましい声ほど戦争を招き寄せたことを、私たちはすでに知っている。勇ましい声を発した面々ほど、責任をとらないことも、これまた十二分に知っている。
反戦・平和の闘いは、政府の憲法解釈に制約されることなどない。反戦の声と行動を、日本でも米国でも中国でも着実に拡げていきたい。(廣)
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《専守防衛》から《先制攻撃》もできる国へ
戦後日本は、あの戦争への反省と平和への思いから出発したハズだった。その立場は、戦後80年で、全く様変わりしている。
〝平和憲法〟の下、日本は、〝平和国家〟を掲げ〝専守防衛〟の立場をとった、ハズだった。それが平和憲法下での〝たてまえ〟だった。
専守防衛とは、日本は他国に攻撃されない限り、武力行使はしない、というものだ。日米安保でも、日本は自国防衛に専念し、攻撃相手国への対処は米軍という役割分担があった、ハズだ。
それが、60年、70年の安保改定、日米の安保ガイドライン(=日米防衛協力のための指針)、集団的自衛権の部分的容認、安保法制、それに23年末の国家安全保障戦略や国家防衛戦略の改定などで、ものの見事に、戦争国家、戦争準備に邁進する国家に様変わりしてしまった。
◆活動領域は〝極東〟から〝世界〟へ
平和憲法下、日本は他国から攻撃されない限り、他国を先制攻撃することはない。それも必要最低限であって、しかも武力行使の領域は日本の領土・領海・領空内だけだった、ハズだ。これが戦後日本の基本的な安保政策だ、とされてきた。
また安保条約でも明記されているように、在日米軍の目的は、あくまで日本国と極東地域の平和と安全だとされた(極東条項――フィリピン以北=台湾海峡と朝鮮半島)。
それが1997年の日米安保ガイドラインで、自衛隊の行動範囲が大きく拡げられた。このガイドラインで、それまでの極東条項という地理的範囲を〝周辺事態〟と言い換え、それは脅威の態様や日本への影響を考慮したものであって、地理的概念ではないとされ、ホルムズ海峡など中東地域にも対象地域を広げた。
その結果、自衛隊の関心領域・活動範囲は、インド洋や中東方面を含むシーレーン全体を対象としたものに拡大され、実際、米軍への〝後方支援〟とか〝米国艦船の防御〟などにも任務を拡大した。現に、その後の米国のアフガン侵攻やイラク戦争での米軍支援や掃海活動など、自衛隊の活動範囲は、拡大し続けることになる。
◆他国の戦争への参加も
その次の大きな転換点は、安倍首相による集団的自衛権の部分的容認とそれを組み込んだ2015年の安保法制だ。
その直前の2015年4月には、18年ぶりに日米安保ガイドラインが改定された。この改定で〝重要影響事態〟や〝存立危機事態〟などで合意し、その内容が、次の安倍首相が強行した安保法制に反映されることになる。ここでもまず日米で役割分担を決め、その次に国内法を整備する、という手順だった。
その安保法制では、一定の条件の下では部分的な集団的自衛権の行使は可能だとして、それまでの憲法解釈を見直し、海外での武力行使に大きく道を開いた。すなわち、重要影響事態法では、米軍や他国軍への後方支援や弾薬の提供(兵站支援)を可能にした。また存立危機事態法では、従来の周辺事態法を見直し、日本が直接攻撃されていなくとも、密接な関係の他国、すなわち米軍などが攻撃されれば、日本の存立が危機に瀕するとして相手国への攻撃を可能とした。
要するに、台湾有事が発生して支援に駆けつけた米軍が攻撃されれば、それが日本の存立危機事態だとして自衛隊も戦闘に参加する、というものだ。これは自国が攻撃されていないのに他国の戦争に日本の参戦の道を開くもので、かつての専守防衛国家としての枠組みを完全に捨て去ったものだという他はない。
◆ついに〝仮想敵国〟を明示
その次の大きな転換点は、23年12月の岸田政権による国家安全保障戦略をはじめとする安保関連三文書の改訂だ。
ここでは中国を「これまでにない」「最大の戦略的挑戦」だとした。これは米国の安保戦略と同じ言い回しで、中国を仮想敵国だと明示的に示したものだった。仮想敵国を明示すれば、むろん、対抗策がセットだ。今回の改定は、その中国に対し、米軍と協力して封じ込め政策に突き進む態度を鮮明にしたものだった。仮想敵国を明示して対処行動を打ち出せば、当然のように相手国も対抗策の強化に走る。要するに、脅威と対処のエスカレーションだ。
現に、長年、防衛費の歯止めとして機能してきた防衛費の〝GDP比一%〟という縛りも、あっという間に二%程度へと引き上げられ、今その軍費拡大の真っ最中だ。さらには米国から3・5%への引き上げ要求も出ている。かつて5~6兆円だった軍事費は年間12兆円規模に膨れ上がり、それ以上の軍事費肥大化も視野に入っている。自衛隊の〝南西シフト〟とあわせ、今では軍事費の面でも戦時体制づくりにまっしぐらだ。
まだある。日本の国家安全保障戦略と併せて改訂された国家防衛戦略と防衛力整備計画では、スタンド・オフ・ミサイルの保有が明記された。これは敵国の攻撃が届かない遠距離から敵国を攻撃できるミサイルなどの保有のことで、政府が《敵基地反撃能力》と言い換えて明記したものだ。
政府はあくまで《反撃》能力だと言っているが、敵の攻撃をどの時点で判断するかについて、日本への攻撃を〝着手〟した時点だという。要するに、〝着手〟が具体的にどの時点なのか、いかようにも判断できる代物で、これでは専守防衛など、全くのお題目に過ぎなくなる。
要するに、平和国家・専守防衛が、段階的かつ用意周到に、また強行採決など、強引に投げ捨てられたわけで、これでは軍事大国化・戦争国家化への次の歯止めも、いつ投げ出すか、わからないことになる。長距離弾道ミサイル、核兵器、それに徴兵制だ。そうした場面を招き寄せないためにも、反戦・平和の行動を拡げていきたい。(廣)
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「核武装が最も安上がり」は本当か
さや候補の「核武装は安上がり」発言
今回の参院選挙において参政党公認で東京選挙区に出馬したさや(本名・塩入清香)候補は、公示日に放送された日本テレビのインターネット番組「日テレNEWS」(7月3日配信)で、核の保有や日米安保について問われ、「米国に頼ることはあるが、自分たちも備えるのは当たり前だ」「あの北朝鮮ですら、核兵器を保有すると国際社会の中でトランプ大統領と話ができるぐらいまでにはいく」と話した上で「核武装が最も安上がりで最も安全を強化する策の一つ」とし、参政党としても核の保有を含めた防衛力の構築を考えていると述べた。何と大胆な主張であることか。この発言は決してさやの一存ではない。
この発言は参政党の神谷宗幣代表の主張と一体のもの
実際、同党代表の神谷宗幣も選挙期間中、「核武装は検討すべきだ。議論は避けてはいけない」と主張した。まさに突如核武装を公然と主張する国政政党が選挙戦の最中に現出、しかも15議席を獲得し躍進したのである。実に恐るべき政治展開ではないだろうか。
昨年、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)に授与されたノーベル平和賞は、核兵器廃絶への地道な活動を世界が認めた成果だが、今回の主張は「核兵器は一発たりとも持ってはいけない」とのすべての被爆者の心からの願いを、踏みにじる暴論である。
本当に「核武装が安上がり」なのか
だがさやが言うように、本当に「核武装が安上がり」なのか。
確かにこの「安上がり」発言の背景には、政府が「敵基地攻撃能力の保有」を決め、毎年、1兆円前後を投じる長射程ミサイル導入費に対する参政党なりの政策があるのだろう。
本来、政治家の発言は深謀遠慮の上でなされるべきだ。しかし事実を歪曲し、また歪曲どころか根拠となる事実さえほとんど知らない政治屋の発言など、政治を混乱させるもの。参政党の躍進とは裏を返せば、つまりは考え違いの塊の政治屋集団の誕生でしかない。
だがこの発言について、広島市の松井一実市長は8月1日の定例会見で「決して安くない。的外れだ」と批判した。市長は核兵器保有について、「維持のために多くの資材や研究者が必要だ」と指摘するとともに、核兵器を持つ国々が保有量を減らせば、「そのお金をそれぞれの国家の福祉予算に回せる」との現実的な意見を表明したのである。
核兵器体制の必要経費とは
核兵器=核弾頭は単体そのものがあればよいものではない。核兵器として運用されるには、①運搬手段(ミサイル・航空機・艦船)②指揮統制等のシステム③開発実験施設④貯蔵庫が最低限必要となる。さらに⑤核弾頭の廃棄費用や核物質の処理等の「後始末」にかかる費用も必要である。つまりこれらの5点が揃って始めて核兵器体制なのである。
現在、米国が核搭載の新型原潜の開発しているが、建造費だけで1兆3500万円前後だと言われている。その開発費を入れれば2兆円だ。このどこが「安上がり」なのか。
「核武装が安上がり」のさや発言は、現実の世界を知らない「床屋政談で人気を取る」思い付き「政治屋」の妄言だ。参政党とはこのような議論を行っている政党なのである。
核抑止戦略は幻想
そもそも核抑止戦略は幻想だ。米国の核の傘が日本への侵略を抑え込めるとの見方がある。だが、例えば核保有国が日本の離島に侵攻した場合、米政権の戦術核投入はなく、通常兵器による間接支援にとどまるとの予測がある。国力が衰え内向きになる現在の米政権が議会承認の必要な戦争を、単なる同盟国のためにするのかとの根本的な疑問がある。
さらに日本が核武装するには国際的にも大変なハードルが待ち構えている。それは国連の常任理事国の存在である。彼らが核拡散を阻止し独占体制を死守しているからである。
核拡散防止条約と核兵器禁止条約
この国連体制は相反する2つの国際条約を持っている。その一つは核拡散防止条約(NPT)であり、もう一つは核兵器禁止条約(TPNW)である。
前者は、アメリカ、ソ連・イギリス・フランス・中国以外の国に核開発されることを防ぐために作成されたもので、後者は国連多数派の、核兵器を国際法の下で完全に違法とする国際的な合意であり、核兵器の開発・実験・使用・使用の威嚇を禁止している。
前者は常任理事国の核独占を維持し、後者は核そのものの廃絶をめざすものである。
日本は前者は批准したが、後者は批准していない。その点を野党から追及されている。唯一の被爆国でありながら米国の顔色を窺い追随を続け、情けないことに今日に至る。
イスラエルの核所有は国連体制の欺瞞の象徴
インド・パキスタン・イスラエルはそもそも核拡散防止条約を批准してこなかった。また北朝鮮は核拡散防止条約から脱退し独自の核開発を行ったが、その核開発費の重圧や数々の国際的な経済制裁を受け人民の生活は塗炭の苦しみの中で疲弊していった。
またイランは核拡散防止条約を批准していたので、核開発疑惑を疑われて何回も国際機関から執拗な査察を何度も受けていた。今回はイスラエルとの絡みで核開発疑惑を理由に、米国からついには疑惑の核施設への爆撃を受けるまでになってしまったのである。
それにしても核拡散防止条約に違反し公然と核を所有しているイスラエルがなんら非難されないのは、国際政治体制の欺瞞そのものではないだろうか。
包括的核実験禁止条約と部分的核実験停止条約
この他に核開発に付随する包括的核実験禁止条約(CTBT)と部分的核実験停止条約(PTBT)がある。包括的核実験禁止条約とは、後者では禁止されていない地下核実験等を禁止し、後者の不備を是正したものだが、いまだ条約としては成立していない。
核開発に核実験は不可欠である。これらを考えれば日本の核武装は現実的には絶対に不可能である。日本は核拡散防止条約から脱退を表明しただけで、ただちに国連憲章にある敵国条項を理由として国連軍から、つまり米軍等から軍事攻撃を受ける現実性が極めて高いと言わざるを得ない。まず日本が警戒しなければならないことはこのことである。
まさに核開発はどのように行うか。核実験はどうするのか。核兵器はどこに置くのか等はその次の課題である。米国のイラン攻撃は決して日本にとって他人事ではないのである。
イラン核施設爆撃は新たな国際法
なぜなら今回のイスラエルとアメリカによるイラン核施設爆撃は、核拡散により直接脅威を受ける国は、国連を無視して核拡散を進める国の核施設を破壊して良いとの既成事実となり、恐るべきことに新たな国際法として成立してしまったからである。
こうした日本の核武装に関しての現実的な困難に比べれば、「持たず、作らず、持ち込ませず」を定めた非核三原則は単なる机上の建前なので、核兵器を保有するにはこの国是を変更することなど実に簡単なことだろう。また「原子力利用は平和の目的に限る」とした原子力基本法の法改正が必要になるだろう。いずれも野党の反対は必至ではあるが。
だが本当の所、私たちは日本の核武装に反対する最大の勢力は米国だと認識している。
早くも腰砕けの「核武装が最も安上がり」論
8月1日、初登院した参政党の 塩入清香(さや)議員は、「核武装が最も安上がり」との発言について、記者から追及された。彼女は前言を翻し「参政党の方針に従うつもりです」と答えた。さらに記者が「ということは(今後は)主張していかない」と質問すると「細かい部分については、後日ご報告できたらと思います」と言葉を濁したのである。
参政党は今後この問題を封印すると私たちは考える。なぜならあまりにも浮世離れした妄言そのものだからである。参政党の神谷宗幣代表の無責任発言の一つであろう。
参政党の諸君には日本が核武装を宣言した瞬間に、今後核の平和利用が立ち行かなくなることを指摘するとともに、G7と周辺国、いや国際社会と合意しない限り、今後核武装と平和利用を両立させた核政策を進めることは出来なくなることを強調しておきたい。
経済封鎖に耐えられない日本
資源に乏しい日本の食料自給率は今や38%である。石油備蓄こそ約240日分あるが、使い切った翌日から国内流通や石油火力発電は止ってしまう。したがって世界平和に依存する日本は戦後、唯一の戦争被爆国の立場から世界の非核化を訴えてきたのである。
それゆえに今後とも広島・長崎の被爆者並びに遺族の「核なき世界への願い」に応えるために、日本は世界の核廃絶と安全保障環境の整備に配慮しつつ、周辺諸国の侵略の試みを未然に抑え込み、核武装に代わる具体的な諸方策を考えていく必要がある。(直木)
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参政党の歴史改悪主義に反撃する 彼らの「スパイ防止法」は治安維持法だ
参政党によるデマの拡散、歴史の改悪主義には、断固として反撃しよう。
彼らは、知識に欠ける(というよりも特に関心もなく勉強したこともない)人々の弱みに付け込み、「これまでの自虐史観を捨てよ」「日本は悪くない、むしろアジア人のために戦った」などと田母神並みの愚論を展開しています。貧困化する現役世代の不満の受け皿になりつつあります。それに対する社会的な批判――遅すぎたというべきですが――が良心的研究者、マスコミによって展開されています。
例えば参政党の初鹿野による「南京大虐殺なんてなかった」論に関する無知蒙昧は「女性自身」の記事(「参政党・初鹿野議員 国も認めている《南京事件》を否定で批判続出」)において専門家の証言を引いて丹念に暴露され否定されています。
こうした中で、厳しさを増す批判勢力の視線を意識した神谷代表は意図的に「スパイ防止法の検討」を打ち上げ、他方では日本共産党に対する猛攻撃を演出しています。彼らの攻撃の卑怯さそして危険性を暴露しましょう。
■参政党「スパイ防止法」の意図がまるわかり
参政党の神谷宗幣が八月に内閣に提出した質問主意書は、「共産主義及び文化的マルクス主義の浸透と国家制度への影響に関する質問主意書」と題されています。この質問主意書は、共産主義思想と、それに加えて「文化的マルクス主義」と呼ばれる思想潮流が、日本の国家や社会にどのような影響を与えているかについて、政府の見解を問うものです。この「文化的マルクス主義」とは、現在では国際的に反ユダヤ主義の陰謀論の「専門用語」なのです。
こうした質問主意書の思わせぶりから、法案未提出とはいえ参政党の「スパイ防止法の立法意図」がにじみ出てきています。
参政党の理解によれば、幻の「共産党工作員」らによる日本の「スパイ天国」状態を終わらせるために、スパイ防止法を制定すべきだと強く示唆しています。(外国のスパイの取り締まりでないことに注目!)それによって「ジェンダー平等」「性的多様性容認」「マイノリティー擁護」「移民容認」等々が「共産主義による政治工作」されていると考えています。
神谷の質問主意書は、トンデモ陰謀論に立った妄想の産物であることは明白です。誰でもが知るように日本共産党にそのような力や組織性は全く存在しません。
彼らの「スパイ防止法」成立の真の意図は、「共産党の工作阻止」なんかではなく、広く市民運動・大衆運動への憎悪に根差しているのです。この間の参政党の排外主義的な運動に抗議し批判する勢力一般への弾圧法こそが狙いなのです。
2019年7月15日、JR札幌駅前で街頭演説に立った安倍晋三がヤジについて激しく反発し、忖度した北海道道警察がヤジを飛ばした二人を一時拘束しヤジを権力で中止させたことが想起されます(警察の不法性が裁判で確定)。参政党は彼らのウソ演説に対する市民の激しい抗議に対して、法律(スパイ防止法など)で公然と弾圧しようとしているのであり、あらゆる反政府的な政治運動の弾圧拡大を狙いすましているのです。。
神谷の質問主意書の中で「非公然共産党党員や特定の思想に共鳴する人物が、法曹界や官僚機構、地方行政に影響を与えている」と指摘しますが、すでに述べたようにこの党にそのような意思も能力もありません。これは、日本共産党のような野党団体やその関係者が、あたかも日本の国家機能に影響を与え、国の安全保障を脅かしているのではないかと国民に被害意識を植え付けようとするものです。(中国脅威論と同類のデマです)
つまり、参政党が望んでいるのは新しい「レッドパージ(赤狩り)」であり、戦前の治安維持法に相当する内容がにじみ出ているでしょう。その論理が「国益を外国に売り渡す」「利敵行為」を阻止するとして正当化されるのでしょうが、神谷らの「スパイ防止法」が外国のスパイを問題としないことが奇妙ですし、その隠された意図を暴露するものです。
むしろ参政党から見たの国民による反政府運動の弾圧法なのです。むしろ、参政党こそロシアに政治的に利用され、日本社会の混乱をロシアに期待されているのです。気を付けるべきです。(阿部文明)
読書室 望月 優大著『ふたつの日本『「移民国家』の建前と現実」講談社現代新書二0一九年刊
〇日本は既に実質的には疑いなく「移民国家」である。この三十五年間で在日外国人の数は九十四万人から約三百七十七万人(令和六年末現在)となり、前年末に比べ約三十六万も増加した。この数は実に四倍。永住権を持つ外国人も百万人に迫り、二0一九年春からの外国人労働者の受け入れ拡大により増大と一途をたどっている。私たちは令和の時代に起きた、この地殻変動を正しく認識できているだろうか? ほとんど出来てはいない。今私たちに必要なのは、「遅れてきた移民国家」日本の全体像の認識である。私たちの住む「日本」はどこから来てどこへ向かうのか? このことへ認識が今焦眉の課題である〇
著者は、現在日本の移民文化・移民事情を伝えるウェブマガジン「ニッポン複雑紀行」編集長であり、日本等で移民・難民問題を中心に様々な社会問題を取材し「現代ビジネス」や「ニューズウィーク」などの雑誌やウェブ媒体に寄稿している人物である。
本書を一読すればすぐに分かるように平易かつ冷静な記述で実に好感が持てる。
「移民国家」日本の建前
日本では長らく「移民」という言葉自体がタブー視されてきた。日本は日本語と文化・歴史を共有する「日本人」だけの国とされてきたからである。そのせいもあり日本にはいまだ移民や外国人の支援や社会統合を専門とする省庁は存在していない。
すなわち日本には「移民」も「移民政策」も存在しない。これが日本の国家としての建前である。実際、確かに昭和の時代にはあまり外国人を意識してきたことはない。しかし平成になってからは、日常生活の中で外国人の増加を意識しないわけにはいかなかった。
そもそも日本人とは何か。ボーボワールの有名な名言をもじれば「人は日本人に生まれない。日本人に成るのだ」。すなわち人は国家が権利保障をする「教育」や様々な社会統合の結果、日本人と成る。現実に「移民」がいるのなら「移民政策」が必要なのである。
昭和の終了から平成の終了までの間に在留外国人は、約九十四万人から約二百六十四万人に増加した。東京等のコンビニや居酒屋では既に彼らは主要な労働力となっている。
日本に「移民政策」はないと言ってきたが、二0一八年末の臨時国会に新たな在留資格「特定技能」の創設が決る。それ以降、たった五年で約百十万人も増加したのである。
二0二四年末までの在留外国人数は在約三百七十七万人。では国籍別に紹介しよう。
(一)中国約八十三万三百人(+約五万五千人)(二)ベトナム約六十三万四千四百人 (+約七万人)(三)韓国約四十一万人(-約千人)(四)フィリピン約三十四万一千人(+約二千人)(五)ネパール約二十三万三千人(+約五万七千人)(六)ブラジル約二十一万二千人(+約百人)(七)インドネシア約二十万人(+約五万一千人)(八)ミャンマー約十三万五千人(+約五千人)(九)台湾約七万人(+約五千五百人)(十)米国約六万六千人(+約三千人)。()内は前年末からの増加者数である。
ここから中国・ベトナム・インドネシアの在留者の桁違いの急伸長が確認できる。
このような状況に私たち日本人の意識はついて行ってない。私たちはいまだに在留外国人や移民の存在を「新しい」もの、「異なる」ものとして見ているのである。
先に紹介したように日本はいまだに「移民」を認めずに単なる労働力、つまり「特定技能」を持つ人材としか見ていない。彼らと私たちはどのように交流すべきなのか。
世界でもアメリカやイギリスやドイツ等でも「移民」を排撃する右翼政党が台頭している。実際、彼らに対する排外主義的な言動はまさに「選挙で勝てる」有効な戦術である。
今回の参議院選挙においても参政党や日本保守党は、「日本人ファースト」等の排外主義的な戦術を用いることで既成政党の票を奪い、著しい躍進を果たしてきたのである。
では私たちは、こうした政治情勢の中、一体どうすればよいのだろうか。
「移民国家」日本の現実
さて著者による「移民国家」日本の現実を検討することにしょう。
この分析の基本的なデータは、本書が刊行されたのが六年前ということもあり、すべて二0一八年末のものであることをまずは皆様にご認識いただきたい。現在との最大の差は、在留外国人の国籍別の順位とその実数なのだが、それらは以下のとおりである。
当時の在留外国人の国籍別の順位とその実数は、(一)中国約七十四万二千人(約八十三万三百人)(二)韓国約四十五万三千人(約四十一万人)(三)ベトナム約二十九万一千人(約六十三万四千四百)(四)フィリピン約二十六万七千人(約三十四万一千人)(五)ブラジル約十九万七千人(約二十一万二千人)(六)ネパール約八万五千人(約二十三万三千人)(七)台湾約五万八千人(約七万人)(八)米国約五万七千人(約六万六千人)(九)インドネシア約五万二千人(約二十万人)(十)タイ約五万一千人(約六万一千人)。()内の数字は二0二四年末のものである。
たったの六年でこの順位の変動と在留者数の変化には本当に驚くばかりである。この実態に関する在留外国人に関する出版物はいまだ刊行されていないので、私たちは本書の分析を基本的認識とする他ない。ある意味で限界はあるが、まずはそれを押さえておこう。
一九八0年代には在留外国人のほとんどは韓国・朝鮮出身者であった。私などは六十五万人という数字を今でも鮮明に記憶している。一九九0年前後の転換期以降は、中国・フィリピン・ブラジルの在留者が一気に増え、韓国・朝鮮出身者は漸減していく。彼らを押さえトップに躍り出たのは中国で、それは二00七年だった。日系人とその家族がほとんどのブラジルの在留者は二00八年をピークに急速に減した。リーマンショックによる雇用調整のため、彼らはわずかな帰国費用を思弁され帰国していったからだ。ベトナムの急伸が目に留まるが、それは二0一二年頃からの留学生や技能実習生の増加のためだ。
在留資格と「単純労働者は受け入れない」日本の立場
現在、「移民」を認めない日本には二十六の在留資格がある。著者はこれを五つのカテゴリーへ再編成して、それらの問題点を整理しつつ、私たちの認識を深めてゆく。
この五つのカテゴリーとは、①身分・地位(五つの在留資格の合計)②専門・技術(十五の在留資格の合計)③留学④技術実習⑤家族滞在のことである。
「身分・地位」と「専門・技術」は複数の在留資格の集計なので解説しておきたい。
この「身分・地位」は在留資格者の過半数を占める。その内容は、特別永住者・永住者・日本人の配偶者等・永住者の配偶者・定住者である。特別永住者とは戦前から日本に住む朝鮮半島の人々や台湾人のこと。永住者とは在留資格五年を超えて認められた人のこと。定住者とは日系中南米人のことである。そしてこの在留資格にはほとんど制限はない。
彼らは定住者である。だから彼らは日本は「移民を受け入れるべきか否か」の論議の対象者ではない。私たちが「移民」ではないと認識しておかなければならない人々である。
次の「専門・技術」は就労目的の十五の在留資格の集計である。その内の「技術・人文・国際業務」が全体の六割を占める。「留学」と「技術実習」は表向きは就労不可だ。
これらのカテゴリーの関係性は、安定性が最も高いのが「身分・地位」で、次に「専門・技術」である。「留学」は在学期間のみ在留でき、卒業後に「専門・技術」に切り替えるか帰国する。問題は「技術実習」である。ここはまさにグレーゾーン。さらに最近機能し始めた「特定技能」の新設は大きな問題性をはらんでいる。
「身分・地位」が大きく減少している中で、「専門・技術」、「留学」、そして「技術実習」の在留資格者は一貫して伸び続けてきた。一体どのような理由があるのだろうか。
まさに「単純労働者は受け入れない」日本の立場からそれは必然化されたのである。
すなわち日本は「専門・技術」の人々を「高度人材」として「フロントドア」から、また日系人と研修・技能実習生と留学生をサイドドアから、さらに非正規滞在者をバックドアから入国させることで日本の労働力不足の調整システムとして利用してきたのである。
実際、新聞紙上でもベトナム「技能実習生」の逃亡や「日本語学校学生」の行方不明報道が後を絶たない。ここは日本内外の悪徳ブローカーが暗躍するグレーゾーンである。
在留外国人はただ「労働力」として存在するのではない。彼らは「消費者であり、「生活者」でもある。当然にも地域においては「住民」であり、その子らは「学童・生徒」である。実際には、彼らは「顔の見えない定住」を強いられている場合も多い。その理由は長時間労働と請負労働業者による間接雇用にある。彼らの子らの就学率は低い。
私たちは日本の賃金奴隷制のさらに下に在留労働市場があると認識しなればならない。
彼らのこの地位からの解放は、日本の労働運動の課題でもあることをしっかりと認識しなければならない。そのことを深く根拠をもって理解するためにも本書は貴重である。
本書は「移民」に対する基本的入門書である。ぜひ読者には一読を薦めたい。(直木)
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本の紹介 「桐生市事件ー生活保護が歪められた街で」著者 小林美穂子 小松田健一 発行 地平社 価格 1980円
生活保護費の分割・一部支給は違法だ!
群馬県桐生市で生活保護費の分割・一部支給など、違法な対応が行われていた問題がありました。
著者は、生活困窮者の支援を行っている一般社団法人「つくろい東京ファンド」のメンバー小林美穂子さんです。小林さんは、幼少期をアフリカ、インドネシアで過ごし、ニュージーランドやマレーシアでホテル業、マレーシアで事務機器の営業に携わった後、通訳や学生を経て、現在、生活困窮者支援にあたっています。また、「つくろい東京ファンド」が運営する「カフェ潮の路」のコーディネーター(女将)でもあります。
同じく著者の小松田健一さんは、 群馬県桐生市による生活保護制度の違法、不適切な運用を報じた東京新聞の記者で、元前橋支局長(56)=現・出版部次長です。
また、桐生市生活保護問題の発覚に尽力されたのが故仲道宗弘さんでした(群馬司法書士会副会長/反貧困ネットワークぐんま代表 2024年3月20日に逝去)。仲道さんをはじめ反貧困ネットワークぐんまは桐生市の違法・不適切な窓口運用の告発に大きな役割を果たしました。
2023年11月に、桐生市で生活保護費の「分割・一部支給事件」が発覚しました。
生活保護費を1日1000円に分割して渡し、総額としてその月に支給すべき保護費を下回る金額しか支給せず、残金を福祉事務所の金庫に収納する扱いを行っていた事例など、3事例が発覚しました。このような扱いは法令で認められておらず、明らかに違法です。そして、2023年12月18日、桐生市長の定例記者会見において、「保護費の分割支払い」と「月をまたいでの残金支払い」のほか、 事務手続きの不備による保護費の「支払いの遅延」、福祉課で「認印」を保管して使用していた事例など、多くの不適切な対応があったことが公表されました。
これらを受け、去年1月に第三者委員会が設置され、1年あまりの調査・検証の結果、今年3月28日に報告書が公表されました。その中で、上記の3事例について、明確に違法と断じられました。全国調査団の田川英信氏(生活保護問題対策全国会議)、小林美穂子氏(一般社団法人つくろい東京ファンド)、渡辺恒(ひとし)桐生市議会議員、吉田松雄氏(全国生活と健康を守る会連合会(全生連)会長)らは記者会見で、「分割・一部支給の3事例は、氷山の一角でしかない」と指摘し、第三者委員会報告書の内容と問題点について報告を行いました。
第三者委員会は、生活保護費の分割・一部支給の3事案が生活保護法(3条、8条、31条等)に照らしいずれも違法と言いました。
また、うち1件で、保護費の受領書にケースワーカーが架空の日付に本人のものでない認印を使用した受領印を勝手に押印していたことが判明しました。この点については、同種の事例が多数存在していることも認定されました。認印は市に1948本保管され、86世帯に使用されていました。
保護費の分割支給についても、その判断が査察指導員以上の職位にある者の指示で行われたことが明らかになりました。分割支給についてケース記録に記載されたのは14件中わずか1件であり、不正行為隠しのためだったのではないかという疑念が表明されています。
以上の行為が幹部職員の指示のもとに組織的に行われ、地方自治法違反、生活保護法違反であることも認定されています。
桐生市では2011年以降の10年間で、生活保護利用者と保護率がほぼ半減し、生活保護費が約45%まで減少しました。
この点につき、第三者委員会報告書では、「保護申請権の侵害が疑われる事情」など複合的問題が原因であったと結論づけました。
また、桐生市の保護世帯・保護率の急減が、国全体や群馬県内の他都市と明らかに異なる傾向であること、非課税世帯等の量がここ数年間横ばいかやや増加傾向であること(30%超の水準)、母子世帯数からみた捕捉率が低いこと(前橋市・高崎市では5%程度のところ桐生市は1%未満)など詳細な検討がなされています。
他方で、現場職員を対象としたアンケートでは半数近くが「10年半減」を生活保護業務の「適正化」の結果と考えていることが明らかになりました。
桐生市の第三者委員会による以上の調査結果について、全国調査団は、高く評価しつつも、不十分な点、検証されなかったその他の問題点を指摘しています。
保護申請権の侵害にかかわる「生活保護開始決定時の決裁慣行」「保護開始とならない対応を推奨するかのような雰囲気」の原因や組織的指示等について「さらに調査を要する」としています。
生活保護分割支給に対し裁判提訴!
桐生市が生活保護を1日1000円に分割し、満額支給しなかったなどの取り扱いは憲法や生活保護法に違反するとして、生活保護利用者の60代と50代の男性2人が、2024年4月3日桐生市に計55万円の損害賠償を求めて、前橋地裁桐生支部に提訴しました。
原告2人は弁護団を通じて「私のように苦しい思いをする人が二度と出ないようにしたいと思ったから」、「自分も苦しかったですが、自分より立場の弱い人が苦しまないよう、桐生市が二度と法律に違反しないようにするために原告となりました」と、提訴に踏み切った動機を語りました。応援しますよ。
桐生市に限らず、他の自治体でも生活保護を受けさせないような、水際対策がなくならず人権侵害が行われる背景には、国の意向が深く関係しているのではないかと思います。日本の生活保護の捕捉率は2割程度と言われています。つまり、それ以外の人たちは要件を満たしていても利用できておらず、国が定める最低生活費以下の生活を強いられているのです。
言うまでもなく、生活保護制度は、生活に困窮する方に対し、その困窮の程度に応じて必要な保護を行い、健康で文化的な最低限度の生活を保障するとともに、自立を助長することを目的としています。
困った時は、堂々と生活保護を受けられるようにしないといけません。困った時はお互いさまです。(河野)
色鉛筆・・・死刑廃止を
日本の死刑囚は、朝処刑を告げられ90分後には刑場に立たされるという。私は知らなかった。わずか90分では、親しい人に別れを告げることも出来ない。1970年代までは、数日前に知らされ、家族らと会うことも出来たそうだが、今は処刑をスムーズに済ませることを優先させている。
1966年の事件発生以来、巌さんの真摯な無実の訴えは届くこと無く、1980年最高裁で死刑が確定した。姉のひで子さんによると、その後まもなく面会室に飛び込んできた巌さんが「昨日処刑があった!隣の房の人だった!」と訴え、それ以降少しづつ精神に異常が現れたという。ずっと後に釈放され、無罪が確定した現在もなお、それは癒えない。今の日本の死刑囚の処遇そのものが、非人間的で残虐な処罰そのものと言える。まして巌さんは無実なのだ。改めて証拠の捏造等の不正を働いてまで死刑を維持し続けた過ちを深く問い返したい。
死刑制度は世界144カ国が事実上廃止している中、日本はなお維持、その上情報公開に後ろ向きだ。5月17日TBSの番組『報道特集』で「死刑制度における情報開示」が放送された。一部紹介すると・・・
世界の7割が死刑を行っておらず、先進国の中では日本と米国の一部のみ。その米国のテキサス州では「州が死刑制度を維持するのであれば、市民に死刑の実態を公開し議論してもらいたい」という方針のもと、ホームページで死刑囚の情報が公開されている。死刑執行は数ヶ月前に本人や社会に告知され、当日には家族や友人、被害者遺族や許可を得たメディアも立ち会い、ことばを交わす。そして薬物による穏やかな最期を迎える。番組中、収監されているデネス死刑囚を直接取材(取材OKとは!)、日常的に面会、手紙、ネットサービスで外部との交流が可能で、テコンドー、ダンスなども行っているという。取材で彼は、死刑は犯罪の抑止にはなりえないと、反対の立場を表明。「罪を犯すとき死刑のことを考えている人なんていません。彼らは無知で愚かで分別が無いのです。処罰でなく教育こそが必要」と訴えている。
日本の死刑制度維持の理由として、国民の8割が支持していることを上げられるが、情報公開がなされておらず、正しくは民意とは言えない。2009年に始まった裁判員制度の裁判員からも「死刑の実態を知らされないまま極刑の判断を迫られるのは不当」との声が上がっている。まずはきちんと情報を公開した上で、議論を進めなくてはならない。
6月27日、2年7ヶ月ぶりに死刑が執行された。座間で9人を殺害した白石死刑囚は、自殺願望の若者たちを誘い出し、いともたやすく殺害を続けた・・・。今の社会が生んだ犯罪であるからには、処刑しておわらせるべきではない。デネス氏の言葉どうり、処罰でなく教育こそが必要であり、社会の側の問題点にも向き合う必要がある。
昨年9月の、巌さんが58年の闘いの末ようやく勝ち取った無罪判決から1年。弁護団は冤罪の責任を問うために、9月に国と県に約6億円の損害賠償を求める訴訟を起こすという。算定は死刑執行の恐怖により、今も続く精神の変調を後遺症として、過去最高の請求額だという。また控訴断念に際しての畝本検事総長の談話が、巌さんを犯人視し名誉を毀損したとして国に約500万円の損害賠償を求める訴訟も起こす。
このたった1年の間だけでも、福井中学生殺人事件、大河原化工機事件、湖東記念病院事件など冤罪を生み出している問題だらけの構図は、変わらないことが明らかとなっている。巌さんのケースと同じ、いずれもトップが頭を下げて形ばかりの謝罪はするが、真相解明も真の改革にも手はつけない。誤りを認めず、証拠は隠し、検察の抗告権は手離そうとしない。
一刻も早い再審法の改正実現を!死刑は情報公開の上廃止を!(澄)
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イスラエルの世紀の蛮行は、ネタニアフ個人ではなく、ユダヤ人国家制度に基づく!
あまりにも残酷で言葉では言い表しがたい惨状が、ガザそしてヨルダン川西岸において継続されています。
イスラエル政府は8月初旬、ガザ市の制圧を含む新たな軍事作戦「ギデオンの戦車 II」を正式に開始しました。約13万人規模の兵力が投入され、IDF(イスラエル国防軍)は市内中心部への侵攻を進めています。作戦の目的は以下の5原則に基づいています。❶ハマスの武装解除❷全人質の解放❸ガザの非軍事化❹イスラエルによる治安管理❺ハマスやパレスチナ自治政府に代わる民政の構築。
ガザ地区でのまさに残酷極まりない「兵糧攻め」などの現実を考えれば、まさにジェノサイド=バレスチナ人の放逐(殺戮と追放)が目指されています。それは、イスラエルの極右などが主導した大イスラエル主義(現在ではイスラエル人の多数の確信ともみられる)に繋がるものと考えざるを得ないのです。大イスラエル主義は「旧約聖書」に書かれたユダヤ人の「約束の地」全体という事になります。それは、ガザやヨルダン川西岸のみならず、シリア南部、ゴラン高原、ヨルダンなどを含む可能性があります。イスラエルは、すでに混乱するシリアでの軍事行動を活発化させています。
■シオニズムとイスラエルの「国体」が生み出すジェノサイド
イスラエルの問題を一人の政治指導者であるベンヤミン・ネタニヤフの野心や政治的ペテンに帰すのではなく、イスラエル国家そのものに根深く関わる構造的な問題として捉える必要があります。この視点は重要です。そして解決にはイスラエル国家の解体的出直しが要求されることになります。
すなわち、イスラエルが「排他的なエスノ国家(特定の民族や文化的アイデンティティを基盤として形成される国家)」として設立され(ユダヤ人国家)、パレスチナ人に市民権を与えないことで、その民族的な構造を維持し続けている点が問題です。つまり国家が、国民の最低の統一的な平等の権利の保障を否定し、「一部の国民の」排除や不平等の元凶となっているのです。特に、ガザ地区やヨルダン川西岸地域の扱いについて、イスラエルの政策がパレスチナ人への憎悪と攻撃性が極端化している現状があります。
■米国民主党の「ネタニヤフ批判」の欺瞞性
民主党議員の間で意見が分かれる中、一部の議員がイスラエル政府の行動を批判する傾向を示しています。バーニー・サンダースによる米国上院でのイスラエルへの武器輸出に関連した動きの重要なポイントは次の通りです。
サンダースの決議案はイスラエルへのアサルトライフル輸送の停止や、より広範な武器販売(6億7500万ドル規模)の阻止が提案され、特定の「攻撃的」兵器が対象となっています。イスラエルに対する支持が従来は超党派的だったにもかかわらず、現在では民主党の上院議員の過半数が武器販売に反対しています。これは世論の変化、特に民主党支持者の中でのイスラエルへの不支持が拡大しているのです。
しかしながら、イスラエルのガザにおける行動や、パレスチナ民間人に対する残虐行為について、無差別爆撃や飢餓を助長する政策が非難される傍らで民主党内の親イスラエル派の政治家は、ベンヤミン・ネタニヤフ首相をスケープゴートにすることで、イスラエルの国家や社会の構造的な問題への目を逸らそうとしていることは見逃してはならないのです。
すなわち、 ネタニヤフ個人に問題を集約するのは不十分であるばかりではなく欺瞞に等しいのです。イスラエルの侵略主義とジェノサイドは、イスラエル国家の「ユダヤ人エスノ国家」という本質により執行されており、この国家の解体以外に中東の平和はあり得ないのです。【
米国左翼誌「Jacobin」」を参考にしました】(阿部文明)
コラムの窓・・・暑くて熱かった6年ぶりの南京フィールドワーク!
8月15日をはさむ数日、「神戸・南京をむすぶ会」のフィールドワークに加わり、南京と中国の各地への慰霊の旅に参加してきました。それがコロナ禍で途絶え、久々の南京、プラタナスの街並み、相変わらずビル建設、道路工事、そして電動バイクの洪水。
6日間の日程で往復に2日、南京を4日間かけて隅々まで観光ではなく慰霊で訪ねました。とはいえ、南京博物院と夫子廟の見学はどちらもすごい人出で観光気分。さらに巨大なスーパーマーケットに行ってお土産の買い物も。現金は使えない(万博か!)とかの話もあって、スマホやキャッシュカードを使わないので心配していたのですが、現金払いは可能でホッとしました。
15日早朝「侵華日軍南京大虐殺遇難同胞紀念館」へ、今年は「神戸・南京をむすぶ会」単独の慰霊祭でした。かつては幸存者のお話を聞く会があったのですが、今年は2世の女性のお話がありましたが、その部屋には今回参加された所薫子さんのお父さん、坂本正直さんの絵画が展示されていました。1937年から40年まで中国で、1942年から45年まで台湾での戦争経験がある方です。
館内見学は開館少し前から、時節柄、20人もの日本人の行動が目立ったり、何かトラブルが起こらないように公安の方が付きそう機会が何度かありました。日米同盟による中国に対する軍事的威嚇がこうした事態を招いており、軍拡の愚かさに情けなくなります。南京のそこここにある大虐殺慰霊碑、それらは中曽根首相がヤスクニ参拝を行った時期に整備されたものが多く、日本の中国敵視のありようを反映した対応です。
16日午前、南京城壁で最大の中華門へ。4重の門があり、その上には運動会できるほどの広場がり、大砲が飾られています。兵士の待機場所や頭上から門を閉じる仕組みもあります。また南京には有名な「南京民間抗日戦争博物館」もあり、ここも何度か見学しましたが、公式な施設と違って身近で興味深い資料が展示されています。今回、日本留学の経験があり日本語が話せる女学生ボランティアがふたり、併設のレストランで昼食時に彼女たちと交流する機会がありました。
昼食後、励志社博物館(1929年~49年)、戦犯博物館(2021年開館)へ。励志社というのは蒋介石夫婦を〝教祖〟とした宗教的生活改善運動みたいな・・・。同じ敷地にBC級戦犯裁判が行われた建物があり、南京だけではなく中国各地で裁判が行われたと書かれていました。死刑や無期の判決があり、南京の裁判ではなかに台湾人の名前もあって、暗い気分でした。
17日は毘蘆寺見学、和尚さんから皆さん「南京写真館」上映中に来られたと歓迎されました。その映画についての解説と、今は名古屋の平和公園にある千手観音の返還を求めているとの説明がありました。実に大きな禅寺で、エレベーターがあり、いくつもの仏が鎮座していました。
帰宅してから検索したら、「市井の視点から描く〝もう一つの南京大虐殺〟」という見出しで「物語は1937年の南京大虐殺を背景に、戦火の中に生きた市井の人々の苦難と勇気を描く」。7月25日の「公開からわずか4日で4日連続の興行収入日間1位を獲得し」とあります。
その写真というのは、日本兵が写真館に持ち込んだネガの中に虐殺やレイプの写真もあり、虐殺写真が南京戦犯法廷で谷寿夫らの犯罪の証明に使われたという史実を取り上げた映画化だということです。
18日朝、チェックアウト。南京空港への出発前に、戦争博物館の呉館長さんがわざわざ会いに来られ、地元テレビ局が取材が同行していました。館長さんは海外から帰ってきたばかりで、また来てほしいと・・・。午後2時半、20人全員無事に関空着、さて「神戸・南京」は熱い思いを持ち、暑い南京にまた行けるのか、どうなんだろう。 (晴)
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